マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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年末に、ベートーヴェンの第九合唱付を聴く習慣があるのは日本だけである。もちろんドイツにはそんなことは一切ないので誤解なきよう。
ベートーヴェンの第九のなかの『歓びの歌』は、EUの国歌に相当する「EU-Lied」(EUの歌)である。
で紹介したように、いまは「Advent」である。今年はちょうどよく12月1日が土曜日で、第一のローソクに火が灯され、今はもう二つになった。
こんなときに聴かれる音楽は、バッハの「クリスマス・オラトリオ」である。ドイツ語では「Weihnachtsoratorium」という。日本語では「聖譚曲」と呼ばれるそうだが、あまりそんな言い方にはお目にも耳にもかからない。
それはキリスト教と密接なつながりをもつ楽曲形式であるため、日本ではあまり聞かれないのかもしれない。
この楽曲形式には、ハイドンの『天地創造』や、バッハの『復活』があるが、この時期はなんといっても「クリスマス・オラトリオ」である。オーケストラ、合唱、独唱が荘厳な雰囲気を演出する。
その出だしのオーケストラが響くと、胸がキュンとなってしまうのは、その宗教的雰囲気のためではなく、嗚呼、またそんな時季になってしまったという、生活感覚にしかすぎない。
日本では「サンタ」あるいは「サンタさん」などと軽々しくいわれつづけている、サンタ・クロースこと聖(セント)・ニコラウスである。
今日、12月6日は「ニコラウスの日」である。朝家のドアを開けると、なんと、今年もやはり来ていてくれたのだ、ニコラウス。
どういうわけか、家の中にあったわたしと豚児の靴のかたわれが、ドアの外にでていて中にチョコレートやクッキーがいっぱい詰まっているではないか?
さすがニコラウスの神通力はたいしたもんだ、な、と豚児と顔を見合わせた。
毎年この日を忘れずにやってきてくれる、ニコラウス。ありがとう。
と、いうわけで、ニコラウスはクリスマスとはいっさい関係がない。誤解をお持ちの方々は、この際その誤解を解いていただこう、ね。
さて、このニコラウス、こちらの地方では5日の夜から6日の朝にかけて働いておられるようだが、妻の故郷南ドイツでは6日の夜から7日の朝にかけて働いておられるそうな。まあ仕事が沢山ありすぎて一日では一片にかたづかぬ、ということであろうか?
ニコラウスの神通力にも限度がある、ということらしい。
この稿は≪夢想千一夜≫の
のための解説版としてエントリーしました。よろしければ、ついでにご覧ください。
ベルギーの作家・ローデンバックに、小説『死都ブルージュ』があるが、ブルージュ自体は死んではいない。ただ土砂がつもって港が使用不能になったため、かっての貿易港としての繁栄を失い、死んだような街となってしまった、ということだ。その街を背景に、死んだ妻の幻影を街でであった女に見て、その幻影を追いかける、というのがその小説に筋である。ブルージュ(フラマン語読みでは「ブルッへ」)は、いまはベルギー有数の観光都市として栄えている。
しかしそれは破局のときそのままの死者の街である。
エルコラーノ(Ercolano)は、ナポリからポンペイへ行く途中の海岸にある。ポンペイと比較してかなり小さく、半日もあれば全体を見学できる。ポンペイが全日かけても見切れない規模であるため、ローマ時代の建築生活様式を一望するためにはエルコラーノのほうが便利であるが、ポンペイほど有名ではないので訪れる観光客も比較的少ない。
わたしがそこを訪れたのはもう十年近く前になる。ちょうど友人の結婚式に招かれたのを機会に、それまで訪れようとして果たさなかった思いを果たしたのである。現エルコラーノ市の中心街の坂を降りたところに遺跡の入り口がある。そこを入るとすぐ右手下に遺跡が広がっているのだ。それはベスビオ山の裾野が海へとなだらかに落ち込むその一角に位置している。
20世紀(1927年)になってブドウ畑であった場所に偶然発見された旧市街の遺跡は、地下20メートルの土の中から掘り起こされたのである。だから新市街から見るとちょうど崖下にあるように見える。最近は歳のせいか食に対する興味が減退している。もう一方の欲望は、もうずっと前から消滅にむかってひたひたと後退している。そろそろ年貢をキチンと納めねばならない時期なのであろう。嗚呼、もう秋か!と嘆いた詩人のキモチが心に沁みてならない。
それでもイタリア食品専門店なぞをのぞくと、ムラムラとした、そう嫉妬の念に近い感情がわきあがってくるのを抑えるに苦労をする。
そうしてみると、食欲全般にたいする興味が減退しているのではないようだ。イタリアの天地にあふれるエロスは、どうも食にも有効であるようだ。
イタリア食品専門店は、レストランほどは多くはないが、ドイツにもある。
サルメリア(Salumeria)とよばれるイタリア式食品専門店は、ハムやソーセージなどの加工肉、チーズ、ワイン、パスタ等のイタリア料理の必需品が揃えられており、そのショー・ウインドーを眺めるだけでも、なにやら贅沢な心豊かなキモチになれる店である。
ある街には、かっては外国人労働者として沢山のイタリア人をよびよせたイタリア系の会社があり、それらの労働者のためのスーパー・マーケットさえある。そこはまるでイタリアであり、わたしの(ドイツでは)もっとも愛する場所のひとつに数えねばならない。
わたしのしょっちゅう作るイタリア料理は「Spaghetti al pomodoro」である。またの名を「Spaghetti Napoletana」ともいう。なーに、トマト・ソースのスパゲッティのことさ。
しかし日本に今でもあるという、例の「スパゲッティ・ナポリタン」とは画然とことなるものであるこというまでもない。ありや「五目焼きウドンケチャップ風味」と改名すべきであろうが、あれが大好きという方もおられるようなので深くは追求しない。
わたしもあれが好きではR、がしかし「ナポリタン」を僭称するのが許せないだけなのだ。わたしはもう半分はナポリ人のつもりなのである。
ユングの自伝には、興味深い夢がいろいろ記されているが、以下の夢は一段と興味をひく。いま手元に該書がないので、うろおぼえの記憶で大意を記す。
このブログは学術論文ではないので良とされたし。
夢で、彼は暗い道をカンテラをもって歩いていた。風が強く、カンテラはまさに「風前の灯火」のように危うい。かれは必死でその小さな灯火を守りながら夜道を行く。後ろには大きな影が自分を追いかけているようだ。それはその灯火によるものであった。
ユングは、その灯火を自我意識、後ろの大きな影を無意識であろうと分析している。真っ黒な闇夜に灯され、必死でまもらなければ風に吹き消されてしまうほど、その存在は危うい。
無意識の全体像は、われわれの意識においては把握不可能なので、科学の対象にはならないのである。しかし、ユングは悪戦苦闘のうえ重要な仮説(ヒポテーゼ)を提出した。
ユングによれば、「夢の告知」、「シンクロニシテイ」などが無意識がわれわれに伝えてくれる重要なメッセージということだ。