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マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。  
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それは、いわゆる「空気」のことについてではない。ほんとうは「霊気」といってしまいたいのだが、誤解をまねくにちがいないので、とりあえず「空気」といっておくのである。

そしてそれはわが豚児の不思議な能力についてなのである。といっても親莫迦が息子の特殊の能力を誇ろう、という話でもない。

豚児が、そう三歳のころのことであったろうか、われら夫婦の週末の習慣として森へ散歩にでかけた。森といっても日本で言う平地林である。武蔵野の雑木林ていどのものである。

ドイツ社会では散歩が盛んである。夏は涼しさを緑陰にもとめ、冬は冬でうっとうしい天気の中で家の中にこもりがちなので外へ出て新鮮な空気を呼吸するためである。

幼きころは幼児用の車へのせて散歩をしていたが、三歳ともなると自分の足で歩かねばならぬ。いやがる豚児をひっぱって家の近くの森へでかけた。

しかしある場所で梃子でも動かぬ様子を見せ、立ち止まって前へ進もうとしない。三歳児であるから言語でその理由を明確に説明できない。ただそこより前へとはどうしても進み行きたくないようなのだ。

わたしも何気なく行きすぎようとしていたが、虚心にそのあたりを眺めてみると、なにやら胡乱な気配がする。何とは特定はできないものの、たしかに避けてとおるに越したことがない、という雰囲気なのだ。

じつはわたしもこどものころからそういう感じを度々もったことがある。

言葉では説明不能の感覚なのである。その場でなにやら感じる、それだけのことであるから、その場に立ってみないことにはどうにもわからない。さて感じては見たものの他に説明ができないものであるから、あっちへ行こう、とその場をただ避けるだけのことである。

反対の場合もある。

気持ちが安らぎ、のんびりとくつろぎ高揚さえ覚える、ということもある。人と人とが作り出す雰囲気のことを指しているのではない。そのような場がある、といいたいのだ。


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『諸君』12月号の記事、<ドイツ型教育はなぜ崩壊したのか>を読んで感じたことを述べようと思います。

それは西尾幹二、川口マーン恵美両氏の対談でした。さすがに、かたやドイツ文学者で辛口の保守派評論家、かたやドイツ在住の文筆家でおられゆえ、ドイツの抱える問題点を深く掘り下げ、日本の教育問題への提言となされていることは大いに感心いたしました。

いわゆる「三分岐型」というコースとその振り分け方法にドイツの教育問題があるのは、まさにそのとおりです。

上記記事未読の型のために、「三分岐型」につき以下説明します。ただし若干記事の内容とは異なる部分がありますが、それはわたしの側からの補足あるいは訂正です。

「三分岐型」制度とは、日本の小学校に相当する「基礎学校」(Grundschule)が四年しかなく、子供たちはその後、三つのコースに振り分けられるのです。

1.大学進学のための「高等学校」(Gymnasium)が五年生から(現状)十三年生まで。

2.大学ではなく高等専門学校へ進学するための「実業学校」(Realschule)が五年生から十年生まで。

3.上級学校へは進学せず、かっては職人養成のための徒弟修業か職業訓練学校へ進むための「基幹学校」(Hauptschule)五年生から九年生まで。

ここには大きく分けて二つの問題があります。

一つ目は、三つのコースへの振り分けが四年生終了時、子供が十歳時に行われてしまうこと。二つ目は、三つのコースの分岐そのものとその教学内容です。

この制度は、ドイツの伝統的階級社会制度を前提としていたわけです。つまり職人の子は職人に、しかし職人はその職業的誇りとともに生涯収入では大卒となんら遜色のないものが得られる、という階級すみわけがあってのうえでの教育制度であったのです。

それゆえ十歳で「基幹学校」で振り分けられた子供たちも、それなりの希望をもって決められた生涯を歩んでいった、ということでしょう。

風邪がすっきりと治らない。鼻水と痰はもうとっくに止まったのだが、咳がきりもなくでて閉口する。それも乾いた咳である。

ヴィタミン剤とにんにくの錠剤を多めに服用している。食欲もある。熱もない。ただ乾いた咳がひっきりなしにでる。

乾いた咳なら、「胖大海」(パン・ダー・ハイ)という漢方薬がよい、とシナの友人に勧められてはやくからもちいた経験がある。しかしそれは薬ともいえない。ふつうは喉をまもるために服用される。

それは同名の木の実を干したものである。それを茶碗入れて熱い湯を注ぎ茶のように飲むだけである。茶碗といってマグカップのようなシナ式のふたつき茶碗である。 

PanDahai.jpg

その実は湯につかると、みるみるふやける。それがふやけきったところの有様は非常によろしくない。はっきりいって醜悪ともいえる。まるで水中の軟体生物か海綿のようにも見える。

味はそれほど悪くはないが、かといって美味ともいえない。あまり苦くはないところを見ると薬効にも疑いがあるのかも知れない。

しかし飲んでいると心持か喉と気管が楽になったような気もするから、伝統というもののつよさであろうか。効くと思って服用し続ければ効くのであろう。

うまく服用すれば肺を湿潤に清め、喉の部分の解毒作用があるというが、しかし乱用すると毒にもなるらしい。

gluehwein.jpgGlühwein」とは、安物の赤ワインでつくる冬の飲み物であるが、あまり好みとはいえない。がしかし敢えて紹介しよう。グリューワインと発音する。

 





Advent」といえばキリスト降誕四週間前のお祭りであるが、去年も述べたようにクリスマスとはゲルマン族の冬至祭りである。ゆえに「Advent」の期間は日が一日ごとに短くなって暗く鬱陶しいものであるから、せめて愉しくすごしたい。


そこで「
Adventskranz(英語では、Advent wreath)という下の写真のようなものをテーブルに飾り毎週ひとつづつ蝋燭に火をともすのである。よってクリスマスには四本の蝋燭がすべてともることになる。

 
adventskranz-rot.jpg











そんなころ飲まれるのが「
Glühwein」である。

 

そのころは街には「Weihnachtsmarkt(クリスマス市)が立つ。売っているものはショウもないものであるが、そういう雰囲気が好きだ、という人も多いから成り立つショーバイなのであろう。

個人的にはなんの興味もないが、嗚呼、もうそんな時季か、とふと感慨をさそわれるのはたしかである。

しつこいようだが、さらに続けて音楽の話題である。

 

前回は、カザルス的な近代自我を強調するような音楽表現に苦言を呈しておいたが、今回はその逆を見てみよう。

 

あいもかわらずバッハで恐縮である。しかしバッハはバロック音楽の集大成まるで大海のような豊かさに満ちた音楽世界なのであるから、致し方ない。

その名の小川さん(Bach、すなわち小川)にふさわしからぬ偉業であった。

 

とはいえそれはメンデルスゾーン(Felix Mendelssohn)に発見されるまでは忘れ去られていた音楽世界でもあったのだ。

 

そのバッハの音楽を古楽器で演奏するオーケストラがわが日本にある。

 

鈴木雅明・東京芸大教授が設立したバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)がそれである。

02f8ee91jpeg

 

















最近、ドイツの
FMでも盛んにその録音が紹介されるので、たぶん日本の皆様はとっくにご存知のことと思う。

 

しかしその演奏は古楽器によるものとは思えない水みずしさにあふれて、実に好ましいものだ。

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