マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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かって日本には「春闘」という総評などの労働組合賃上げ運動があった。そして毎年なんパーセントの賃上げを獲得できなければストということもあったことを今や懐かしく思い出す。あれは日本高度経済成長あっての組合要求であった。
今日未明からドイツの鉄道が30時間のストに突入し、全国で約50%の短中距離鉄道が麻痺しているということだ。
ここ数週間、組合と鉄道当局側との折衝が続いているが要求と回答の隔たりが大きく前回二度の短時間ストにつづき今回の30時間ストになった。
背景には、前SPD政権によるいわゆる「改革」すなわち財政引き締め政策がある。さらには現政権による今年初めからの消費税の引き上げ(16%から19%へ)による勤労家庭の家計の苦しさもある。
東独を統一、EU統合による欧州自由市場の成立、ユーロ導入による輸出の頭打ちと物価上昇が次から次へとドイツ経済をうち続けてきた。経済成長は止まり、失業は増え続け、税収は減少し、社会保障の支出は増加する。そのための「改革」政策であったが、国民の不満はますますつのるばかりだ。
将来の年金制度への不安もある。
期待された全欧州経済の牽引車としてのドイツ経済の役割どころのハナシではないのである。
冬時間もまだ始まらぬうちから連日の零度にさがる朝夕の気温である。
とにもかくにも鬱陶しい季節がまためぐり来る様子を、なすすべもなく見守る。いったい天気というものは人間の力の及ぶところではない。ひたすら恐れ入って冬がすぎ去ってくれるのを待つ長い半年がもうそこまで来たのだ。
こうした時、いつものようにイタリアを思う。過ぎ去った夏のようにイタリアの陽射しとやわらかい空気を懐かしんで、気持ちをはぐらかすのだ。
このころは、英米では十月三十一日が「ハロウィン」、ドイツでは十一月一日が「万聖節」、どちらもあらゆる聖者聖霊が集まることを祝う祭日である。ドイツでは、日本の彼岸のようにお墓参りの日でもある。
それがすぎると十日が「聖・マーティン」で子供たちが夕方、提灯をさげて町を練り歩き家々で甘いものや果物をもらう行事がある。ドイツの歳時記では、その日が、冬の始まりを告げる日である。
晩秋の気配、と数日前に書いたばかりなのに、月曜の今朝は気温が零度に下がり外は初霜が降った。「霜降」にはまだ数日あるというのに遠慮のないドイツの冬が足早にやってくる。
週末からはまた冬時間に時計の針がもどって、また暗く湿った季節の到来である。
日曜日には友人家族とつれだって評判の動物園に遊びにいったものの一日中小雨の降る肌寒い天気で実に閉口した。
あさからちと風気味だったゆえ少し厚着をして出かけた。厚着の要点は下着をしっかり身に着けることである。そのほうがセーターなどを着込むよりよほど保温効果は高いからだ。
しかしその上でダウン・ジャケットまで着込んだから寒さはなんとか忍んだものの、しっとりと身にまといつく小雨にはまいった。
そんな天気のせいか人では少なくちょうどよかった。しかし動物たちもひくい気温のせいか活発に動き回るということはもちろんなくほとんどが眠り込んでいた。しかしその動物園は動物の裏へまわりこんでガラス窓ごしに眺める設計になっているので間近にライオンや熊を観察できて子供たちは喜んでいた。
その動物園は、アフリカ、アラスカ、アジア(建設中)の三つに分けられていて、アフリカならサバンナの様子を作り出しその中で鹿やゼブラたちが駆け回るようにできているのだ。さらに原住民の家まで再現して雰囲気を盛り上げている。
しかし肌寒い小雨のアフリカではどうにもいたし方ない。その点、アラスカはよかった。滝や渓谷をつくりだし、その川辺でアラスカ熊が鮭釣り、ということはなくて、熊さんもお昼寝である。
元気なのはただ白熊とアシカだけであった。しかも水中トンネルから水の中の様子も見られて少し寒々とした光景ながらも、せいぜい生を楽しむ姿勢を見せてくれたので大いに勇気付けられた。
しかしこんな動物園のリポートが本題ではない。
もと競馬場だった「人民広場」をつっきって西へ向かうと威海路にでる。そのままずっと西へ向かい茂名路を南へ折れてもとのフランス租界へ道をとるのが慣わしだった。
その道筋の交通量が比較的少なかったからだ。自転車走行にはそれがありがたかった。
また当時の威海路はふるい上海式の建物が連なりいかにも庶民が暮らしているな、という風情が味わえたからでもある。いまはどうなったかは知らないが、一階はブロックを積み上げ、二階は木造建てという様式が日本人には珍しかった。
歩道にもろもろの生活が屋内よりはみ出ているのを見物するのも興味深かったのである。
冬の日ポカポカする陽気なら、あちこちで街路樹の間にとおした針金になぜか布団の中身の綿だけを日干ししている光景がたくさん見受けられた。
夏の夕、帰りが遅くなったときなど、歩道に椅子をだして家族みんなで屋内のTVを眺めている光景にも出くわした。屋内が蒸し暑すぎてそんなことになってしまうのであったろう。夜には歩道と車道の段差を枕に睡眠している人々もいた。
いわゆる「国際都市」上海とはまったくちがったシナ人の暮らしがそうして歩道に展開されていたのである。
ここ数日朝夕冷え込んできた。紅葉も真っ盛り。ちょうど日本の、といっても関東地方平地しかしらないが、12月始めくらいの気候になってきた。
もう晩秋の気配である。
平地林も街路樹も紅や黄色に染まって、ドイツ人のいう「黄金の十月」(goldener Oktober)にふさわしい風景である。
次の日曜日、28日からはまた冬時間にもどって日本との時差は8時間になる。短い秋が足早に過ぎ去ろうとしている。もうすぐまた暗く長い冬が来る。
あるナポリの友人が北イタリアに職を得て引っ越していったところ、その寒さに根を上げている。無理もない、ナポリとイタリア北部では気候も人のメンタリティもまったくことなるのだ。
とくに山沿い地方ではどんよりと霧のたちこめる日々が待っている。しかももう雪さえ降ったというではないか。
あちらでは人はドイツ人みたように冷たかろう、とたずねたら、彼女がいうに、ドイツ人より冷たい、と答えた。
ナポリ人が北イタリアで暮らす事と、ミラノ人がナポリで暮らす事とどちらが苦痛であるか、と考えてみた。
もちろん苦痛の意味がそれぞれに異なっているだろうが、文化ショックと文化摩擦がそこに発生するであろう事が容易に想像できる。
あるフィンランド人がこういった。
ドイツ人とはなんと心の暖かい人たちなのであろう、と。
二の句がつけない、とはあのことであった。
物事はすべて相対的である、ということにすぎないのであろうが、狭い欧州でそうなのである。まして、シナでは・・・
といつも連想のベクトルがシナにおもむいてしまうのは悲しい習慣である。
シナのことを考えずにすむ生活があればどんなに心安いことであろう。
晩秋の冷たい風に襟をたてながらそう思った。