マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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かって日本には「春闘」という総評などの労働組合賃上げ運動があった。そして毎年なんパーセントの賃上げを獲得できなければストということもあったことを今や懐かしく思い出す。あれは日本高度経済成長あっての組合要求であった。
今日未明からドイツの鉄道が30時間のストに突入し、全国で約50%の短中距離鉄道が麻痺しているということだ。
ここ数週間、組合と鉄道当局側との折衝が続いているが要求と回答の隔たりが大きく前回二度の短時間ストにつづき今回の30時間ストになった。
背景には、前SPD政権によるいわゆる「改革」すなわち財政引き締め政策がある。さらには現政権による今年初めからの消費税の引き上げ(16%から19%へ)による勤労家庭の家計の苦しさもある。
東独を統一、EU統合による欧州自由市場の成立、ユーロ導入による輸出の頭打ちと物価上昇が次から次へとドイツ経済をうち続けてきた。経済成長は止まり、失業は増え続け、税収は減少し、社会保障の支出は増加する。そのための「改革」政策であったが、国民の不満はますますつのるばかりだ。
将来の年金制度への不安もある。
期待された全欧州経済の牽引車としてのドイツ経済の役割どころのハナシではないのである。
豚児は毎朝、Sバーンで通学しているゆえストで足をうばわれた。前回は母親が学校まで車で送っていったが、今日は用事があってどうにもならぬ、そこでわたしの出番となったわけである。
電車で15分ほどの距離ではあるが車では普段なら10分でいける。しかし非常時のことゆえオート・バーンは車の数珠つなぎである。
結局、往復で約一時間を費やしてしまった。
しかしわたしも他の市民同様、ストへの怒りは湧いてこない。わたしが直接の鉄道利用者でないためかもしれないが、むしろここ十数年来のドイツ政府の国民生活を犠牲にしつづけてきた政策への不満のほうがより強く湧き上がってくる。
欧州伝統の社会民主主義的政策が懐かしく思われるのは、わたしが一生活者であり、将来の欧州全体の設計などとは無縁であるからかもしれない。
これまでのドイツの欧州政策が、資本にとっては別にしても、国民に眼に見える利益はなにももたらしてはいないことが不満の源泉である。
EU統合がうまく推し進められたとしても、EU全体がかってのドイツの生活水準にまで上がるのではなく、ギリシアやポルトガルという後進地域の水準とドイツ・フランスとの平均レベルで安定するであろうことは容易に想像がつくことだ。つまりドイツの生活水準は確実に下がる。そして事実上、下がり続けている。
政府はその自明の理を国民に隠し続けている。ただ欧州統合の明るい未来を喧伝するばかりである。国益追求は、国民生活を犠牲にすれば必ず壁に突き当たる、ということを国家指導者は肝に銘じるべきであろう。