マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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晩秋の気配、と数日前に書いたばかりなのに、月曜の今朝は気温が零度に下がり外は初霜が降った。「霜降」にはまだ数日あるというのに遠慮のないドイツの冬が足早にやってくる。
週末からはまた冬時間に時計の針がもどって、また暗く湿った季節の到来である。
日曜日には友人家族とつれだって評判の動物園に遊びにいったものの一日中小雨の降る肌寒い天気で実に閉口した。
あさからちと風気味だったゆえ少し厚着をして出かけた。厚着の要点は下着をしっかり身に着けることである。そのほうがセーターなどを着込むよりよほど保温効果は高いからだ。
しかしその上でダウン・ジャケットまで着込んだから寒さはなんとか忍んだものの、しっとりと身にまといつく小雨にはまいった。
そんな天気のせいか人では少なくちょうどよかった。しかし動物たちもひくい気温のせいか活発に動き回るということはもちろんなくほとんどが眠り込んでいた。しかしその動物園は動物の裏へまわりこんでガラス窓ごしに眺める設計になっているので間近にライオンや熊を観察できて子供たちは喜んでいた。
その動物園は、アフリカ、アラスカ、アジア(建設中)の三つに分けられていて、アフリカならサバンナの様子を作り出しその中で鹿やゼブラたちが駆け回るようにできているのだ。さらに原住民の家まで再現して雰囲気を盛り上げている。
しかし肌寒い小雨のアフリカではどうにもいたし方ない。その点、アラスカはよかった。滝や渓谷をつくりだし、その川辺でアラスカ熊が鮭釣り、ということはなくて、熊さんもお昼寝である。
元気なのはただ白熊とアシカだけであった。しかも水中トンネルから水の中の様子も見られて少し寒々とした光景ながらも、せいぜい生を楽しむ姿勢を見せてくれたので大いに勇気付けられた。
しかしこんな動物園のリポートが本題ではない。
友人家族のことである。友人夫婦には子供ができず、養子を迎えた。しかもインドからである。
カルカッタの孤児院を訪ねてその娘を探し当てたのだという。その娘は実は今、何歳であるかも正確にはわからない。その孤児院の門前に捨てられ助けられた日を仮の誕生日としているそうなのである。
発見されたとき、彼女は瀕死の火傷を負っていたそうだ。火事に遭ったのか他の理由によるものか顔面と頭部と右半身がひどい火傷で右手の指の半数が失われている。
その娘をもらい受けるについては友人夫妻はずいぶんと考えもしたことであろう。インド人の子供を育てるだけでも一苦労であろうに、くわえてそのようなハンデイキャップまで負っているのだから。
しかしその娘は生き生きと活発で, それまでは寂しかった友人夫婦の生活に、困難とはいえ大きな張り合いをもたらしていることは確実なのである。
五歳くらいまでカルカッタで育ったため最初は言葉で苦労したようだ。今は、もうドイツの生活にもなれ去年からは数年遅れではあるが小学校に通っている。
少し型破りの性格で、物怖じしないのはよいのだが、感情の浮き沈みが激しく両親の手をずいぶんとやかせてくれるらしい。わが家の反抗児がいささか色を失うほどの強烈な個性をずっと発散してくれる。
当初は思ったより以上の困難さに、これも試練、あるいは「カルマ(罪業)の洗濯」と自嘲していた友人も、かりかりとしながらも子育てに邁進する様子が傍から見ていても微笑ましくも、また頼もしくもある。
最初はその姿にやや怖がっていた豚児も、何回か一緒に遊ぶうちに、今はもうすっかり慣れ、激しい言葉でやりあいながらも結構楽しませてもらっている様子なのである。
彼女の内面的葛藤はこれから思春期をむかえるとともに重みと深みをますことが予想されるが、元気にのりきっていってくれるであろうと友人夫婦ともども願っている。
彼女がどんな人間として自己を形成していくのかこれからも見守っていきたい。
霜にも負けない芝生のように、いつも青々とした輝きをもってわれわれを慰めてくるような大人になってくれのだろうか?
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