マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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ここ数日朝夕冷え込んできた。紅葉も真っ盛り。ちょうど日本の、といっても関東地方平地しかしらないが、12月始めくらいの気候になってきた。
もう晩秋の気配である。
平地林も街路樹も紅や黄色に染まって、ドイツ人のいう「黄金の十月」(goldener Oktober)にふさわしい風景である。
次の日曜日、28日からはまた冬時間にもどって日本との時差は8時間になる。短い秋が足早に過ぎ去ろうとしている。もうすぐまた暗く長い冬が来る。
あるナポリの友人が北イタリアに職を得て引っ越していったところ、その寒さに根を上げている。無理もない、ナポリとイタリア北部では気候も人のメンタリティもまったくことなるのだ。
とくに山沿い地方ではどんよりと霧のたちこめる日々が待っている。しかももう雪さえ降ったというではないか。
あちらでは人はドイツ人みたように冷たかろう、とたずねたら、彼女がいうに、ドイツ人より冷たい、と答えた。
ナポリ人が北イタリアで暮らす事と、ミラノ人がナポリで暮らす事とどちらが苦痛であるか、と考えてみた。
もちろん苦痛の意味がそれぞれに異なっているだろうが、文化ショックと文化摩擦がそこに発生するであろう事が容易に想像できる。
あるフィンランド人がこういった。
ドイツ人とはなんと心の暖かい人たちなのであろう、と。
二の句がつけない、とはあのことであった。
物事はすべて相対的である、ということにすぎないのであろうが、狭い欧州でそうなのである。まして、シナでは・・・
といつも連想のベクトルがシナにおもむいてしまうのは悲しい習慣である。
シナのことを考えずにすむ生活があればどんなに心安いことであろう。
晩秋の冷たい風に襟をたてながらそう思った。