マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
冬時間もまだ始まらぬうちから連日の零度にさがる朝夕の気温である。
とにもかくにも鬱陶しい季節がまためぐり来る様子を、なすすべもなく見守る。いったい天気というものは人間の力の及ぶところではない。ひたすら恐れ入って冬がすぎ去ってくれるのを待つ長い半年がもうそこまで来たのだ。
こうした時、いつものようにイタリアを思う。過ぎ去った夏のようにイタリアの陽射しとやわらかい空気を懐かしんで、気持ちをはぐらかすのだ。
このころは、英米では十月三十一日が「ハロウィン」、ドイツでは十一月一日が「万聖節」、どちらもあらゆる聖者聖霊が集まることを祝う祭日である。ドイツでは、日本の彼岸のようにお墓参りの日でもある。
それがすぎると十日が「聖・マーティン」で子供たちが夕方、提灯をさげて町を練り歩き家々で甘いものや果物をもらう行事がある。ドイツの歳時記では、その日が、冬の始まりを告げる日である。
ナポリの街を見下ろす小高い丘の上にあるサン・マルティーノ修道院の名が、聖・マーティンと同一人物によるものと知ったのは、不覚にもナポリを初めて訪れたその時であった。
修道院の中の祈祷所の祭壇に、白馬にまたがり、自らの赤いマントを切り裂き貧民に差し出している聖・マーティンの壁画を見て、やっと、ああ、そうかと理解したわけであるから、まったくの大呆けと言わねばばらない。
寒くひもじい季節に貧者に思いやりを、というカソリック教会のメッセージがこめられた物語なのであろうが、宗教を共有しないものにはただの歳時記であり壁画に過ぎない。
ドイツの(すべての地域にこの行事があるわけではないが)各小学校や幼稚園ではこの日、校庭や園内の中庭でこの聖・マーティンの物語の寸劇が行われる。
街を練り歩いてポケットに飴玉やチョコレートをつめ込んだ子供たちが、火を囲んで頬を赤らめてその寸劇を楽しむ様子は、こちらも思わず胸がキュンとするほどなぜか懐かしさに満ちている。
この寸劇を演じるもの達の多くは、失業者であるという。それで幾ばくかでもポケット・マネーが稼げるのだから、たしかに貧者の救済になっているわけなのであった。
人気blogランキングへ参加しました。よろしければ応援のクリックをお願いします。