マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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前回は、賃貸料を参考のため日本円に換算しましたが(例、1000ユーロ=16万円)、しかし給与標準も、物価もちがうので一概に比較はできないと思われます。
たとえば、ドイツの平均労働者給与2000ユーロとすれば、家族三人で配偶者が主婦であれば、手取りは約1400ユーロになってしまいますから、1000ユーロの賃貸は、かなりの負担です。
つまりこの賃貸料水準は、労働者平均以上の所得がある世帯向けとなります。中流ということでしょうか?
賃貸料の比較的高い都市の中心の築10年程度で、3DK, 100平米の住まいを、ためしに探してみると以下のようになります。
ベルリン、クロイツベルグ(トルコ人街)、97㎡、930ユーロ、(9,70/1㎡)
ミュンヘン、80㎡、900ユーロ(11,25/1㎡)
フランクフルト、アルトシュタット、76㎡、800ユーロ(10,50/1㎡)
デユッセルドルフ、100㎡(メゾネット)、800ユーロ(8,0/1㎡)
デユッセルドルフの場合
しかし、こんなごく簡単な比較ですが、都市の規模と価格がはっきり比例しているようです(ベルリンのトルコ人街は例外)。しかし環境と、その住居のでき自体も考慮しなければなりません。
それでも、我が家は田舎にしては、かなり高めの住宅だとよくわかりました。いままで夢中で暮らしてきたので、そんな比較はしてきませんでしたし、子育ての都合もあり田舎に居住しているわけですが、そろそろまた都会に住みたいと考える今日この頃です。だって都会の中心の住む楽しみは、子育てが終わった後の慰めですからね。
最初に借りた住居は、3DK、シャワー付き66平米で約850マルク(当時のレート、約6万5千円)でした。しかも6階のペントハウスで大きな南向きのテラス付きでした。
参考画像(最初の住居のテラスとかなり似た雰囲気です)
70万人の人口がある中堅都市の中心地でした。
ここで銘記して欲しいのは、都市の中心部は格が下がり、中流以上の階層は普通郊外に住まうということです。
特に、駅の近くは敬遠されがちです。
これはドイツにかぎらず他の欧州諸国でもそのようですが、駅近辺は売春地区であったり、下層階級や、外国人とくにアラブ・アフリカ人の住む地域であったりするからです。
ここでは駅へのアクセスの至便性は二の次のようです。
上記、住まいの上り階段で一度、使用済みの注射器を発見したことがありました。何者かが侵入して「薬」を打ったものでしょう。
そんなことがあったので、息子が生まれたことを機会に、郊外へ引っ越しました。
そこは、90平米のやはり3DKですが。今度はトイレが二つ、それぞれシャワーとバスつきです。さらに一階なのでちいさな庭もついています。
しかもそれまで悩みのタネだった駐車も、地下ガレージつきなので安心です。
それで約千ユーロ(現在のレートでは、日本円で約16万円)。場所柄がいいせいか、ほぼ二倍の平米あたりの借り賃です。
子供が、おおきくなって子供部屋が必要になり、家内は外に別途書斎を借りています。これが約20平米で250ユーロ。かなり割高です。
ドイツ語の「Pfingsten」はギリシア語の「πεντηκοστή [ἡμέρα], pentekostē」からきた語彙で、「50日目の日」という意味だそうです。
すなわちキリストの復活から50日目のこの日、10日前に昇天したキリストに祈る使徒たちに神からの聖霊(Heiligen Geistes)が降ったという、新訳聖書にもとづく祝日です。
10日前の「キリスト昇天祭(Christi Himmelfahrt)」も、もちろん休日でした。
わたしは、異教徒ゆえ、これらのことを信ずることも理解することもできませんが、その信仰を尊重するにやぶさかではありません。
「一切衆生悉有仏性」の立場からすると、霊性はすべてに内在するもので、どこか外から降ってくるものではないからです。
しかし、この降臨したという聖霊は、使徒にたいして神からの聖別として与えられ、昇天したキリストにかわり、神と人間の間をコーディネイトするようにとの思し召しであるとは、理解できるように思いますが、まちがいでしょうか?
また、それは元来、春の最初の収穫を感謝するユダヤの祭日ということですが、このころ収穫されるものといえば、ドイツではアスパラガスがあります。ちょうど日本の初鰹のように、初夏の到来をつげる風物詩です。
またこのころ見ごろとなる牡丹科の芍薬(Paeonia lactiflora)は、俗にピングステンのバラ(Pfingstrose)と呼ばれます。
しかし我々のいう芍薬とは若干ことなっているように思われます。詳述は省きます。
休日の手もちぶさたのつれずれに、以上調べてみました。
日本では、衣食住といって、住居よりは衣食への関心が高いようです。
やれ、どこそこの着倒れ、どこそこの食い倒れ、と衣食についての関心は、日本人の間でたかいのですが、さて住居については、もうはなから希望を捨てているのか、相対的に低い関心しか払われていないのではないでしょうか?
ドイツは、この生活の三大重要素のなかでは、圧倒的に住居を大事に考えているようです。
衣の面では、イタリアやスペイン、フランスなどのラテン諸国に比較すると、ドイツのそれは、ほぼ無関心に近いのではないでしょうか?
ラテン諸国の衣類への情熱的関心は、いったいどこから?というのも面白いテーマですが、とりあえず今回はふれずにおきましょう。
食についても、衣類同様に、美味についての概念が、これまたイタリアやフランスとはことなっているとしか思えません。
関心云々するよりも、衣食の生活のなかに占める意味がちがっているとしか考えるしかないようです。
食については、それでもイギリスよりははるかにましかも知れません。衣類については、英国の紳士服は、じつに見識に深みのある伝統を有しますが、その婦人服にはおもわず目をそむけたるものであることは、皆さんご承知のとおりでしょう。
この点でも、ドイツは少しはましかも知れません。
しかし、しかしですよ、ドイツの住環境といったら、これは欧州で随一といってもいいのではないでしょうか?
質のよい、快適な、広々とした住居が廉価で購入でき、また賃貸もされているのです。
これについては、何回かにわけて詳述して行こうと思います。
http://www.intan.net/abo-direkt/cover/061410.jpg
人気のある住まいの専門雑誌
西ベルリンの分裂時代の事実上の中央駅がゾー(Zoo,動物園)駅だった。
街の明かりがまぶしい。久しぶりの資本主義社会の賑わいがうれしい。にごった水からうかびでて新鮮な空気をいっぱいにすいこんだような気分だ。
車の排気ガスさえ薫り高いものに思われるのは、なぜだろう?
タクシーの運転手も、たぶんトルコ人だろうが、きさくな対応で気持ちがいい。いままでの悪夢を洗い流してくれるようだ。
道すがら、光輝くショー・ウィンドウとそぞろ歩く人々をながめる。
どの顔も満ち足りた表情をみせているように思われるのは、思い過ごしか?
こころがゆっくりとくつろいでゆくのがわかる。
ちょうど大陸から香港へでたときのような気分である。あのときは列車のホームで人々が列を作っていることさえ感動したものだ。
寝る前にひさしぶりに風呂をつかう。案の定、アカがいっぱいでた。
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翌朝、ホテル近くのカッフェで朝食をとる。
時は、まさに薫風ふきすぎる五月である。
店のそとの通りに面したテラスに運ばれてきたフランスとドイツがミックスしたような朝食におおいに満足する。
雀やシジュウカラたちがおこぼれをあずかりに、テーブルにやってきて、とびまわっている。この野鳥たちは人間が彼らを害する生き物だとは、いっさい感じてはいないのだ。
パンのかけらをあたえてみると、よろこんで啄ばむ。
おもわず涙がこぼれた。
ああ、やっと人の住むべき社会に帰ってきたのだ、と思った。
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