マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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『諸君』12月号の記事、<ドイツ型教育はなぜ崩壊したのか>を読んで感じたことを述べようと思います。
上記記事未読の型のために、「三分岐型」につき以下説明します。ただし若干記事の内容とは異なる部分がありますが、それはわたしの側からの補足あるいは訂正です。
「三分岐型」制度とは、日本の小学校に相当する「基礎学校」(Grundschule)が四年しかなく、子供たちはその後、三つのコースに振り分けられるのです。1.大学進学のための「高等学校」(Gymnasium)が五年生から(現状)十三年生まで。
2.大学ではなく高等専門学校へ進学するための「実業学校」(Realschule)が五年生から十年生まで。
3.上級学校へは進学せず、かっては職人養成のための徒弟修業か職業訓練学校へ進むための「基幹学校」(Hauptschule)五年生から九年生まで。
ここには大きく分けて二つの問題があります。一つ目は、三つのコースへの振り分けが四年生終了時、子供が十歳時に行われてしまうこと。二つ目は、三つのコースの分岐そのものとその教学内容です。
この制度は、ドイツの伝統的階級社会制度を前提としていたわけです。つまり職人の子は職人に、しかし職人はその職業的誇りとともに生涯収入では大卒となんら遜色のないものが得られる、という階級すみわけがあってのうえでの教育制度であったのです。それゆえ十歳で「基幹学校」で振り分けられた子供たちも、それなりの希望をもって決められた生涯を歩んでいった、ということでしょう。
しかしドイツ社会も変化しないわけではありません。厳然とした階級はいまだあるにせよ、その階級間の越境が低きから高きへとより進み、職人の師弟でも大学へ進学したい、親の方でも職人階級から子供を脱出させたいと考えるケースがより増加しているのです。
その傾向は、労働者階級(Arbeiterklasse)が多く住むルール地帯に多く見られるようです。そのわけは、この地方では早くから労働者階級に支持を受けたSPD(ドイツ社会民主党)の地方政権が成立し、労働者階級の地位向上のために働いてきたからです。例として、1965年に設立されたボーッフム大学は労働者階級出身の学生のために創られた、といわれているほどで、たしかにその階級出身の学生の比率が多いようです。
すなわち労働者が減少し中産階級が増加する傾向にあるわけです。その社会変化に教育制度が追いついてゆかないことこそ問題の根本でしょうか?川口マーン恵美氏がお住まいの南部とはことなり、北部では上記三コースをあわせた「綜合学校」(Gesamtschule)が多く作られ、多くの子供たちがそのコースへ振り分けられています。そして「基幹学校」そのものが徐々に解消されつつあるようです。
「綜合学校」の建設理念は、理想としてはまことに結構なもので、それは「三分岐型」制度そのものへの見直しと解決策を含んでいたわけですが、もちろんそこにも問題があります。すなわちすべての学校が「綜合学校」になってしまえばなんら問題はないのですが、現状では、「三分岐型」との並行であるため、とくに大学進学をめざす子供たちにとっては、教学内容がどうしても「高等学校」との差がめだってしまうのです。そして結果的には「高等学校」卒業資格(Abitur)それはとりもなおさず大学入学資格なのですが、その合格率に差が出てしまうのです。
そこで最初から大学進学を子供に期待する親たちは、どうしても「高等学校」へ子供を送り込みたいことになります。伝統が徐々にくずれさり、しかもEU成立により他国との協調も図らねばならないドイツの教育制度の過渡期にあたるこの時期に、子供に教育を受けさせねばならない親の一人としては、制度と子供の個性との間の確執に頭が痛い今日この頃なのです。
そして制度的解決策を待つわけには行かず、日々あたえられた条件のなかで悪戦苦闘する豚児を、時に叱咤激励し、時にはなだめ慰める毎日が続きます。日本の教育制度とはまたちがった問題を抱えるドイツですが、子育てと教育に悩む親の心には結局変わりはないということでしょうか?
どの社会でも人の悩みは尽きないということです。人気blogランキングへ参加しました。よろしければ応援のクリックをお願いします。