マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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それは、いわゆる「空気」のことについてではない。ほんとうは「霊気」といってしまいたいのだが、誤解をまねくにちがいないので、とりあえず「空気」といっておくのである。
そしてそれはわが豚児の不思議な能力についてなのである。といっても親莫迦が息子の特殊の能力を誇ろう、という話でもない。豚児が、そう三歳のころのことであったろうか、われら夫婦の週末の習慣として森へ散歩にでかけた。森といっても日本で言う平地林である。武蔵野の雑木林ていどのものである。
ドイツ社会では散歩が盛んである。夏は涼しさを緑陰にもとめ、冬は冬でうっとうしい天気の中で家の中にこもりがちなので外へ出て新鮮な空気を呼吸するためである。幼きころは幼児用の車へのせて散歩をしていたが、三歳ともなると自分の足で歩かねばならぬ。いやがる豚児をひっぱって家の近くの森へでかけた。
しかしある場所で梃子でも動かぬ様子を見せ、立ち止まって前へ進もうとしない。三歳児であるから言語でその理由を明確に説明できない。ただそこより前へとはどうしても進み行きたくないようなのだ。わたしも何気なく行きすぎようとしていたが、虚心にそのあたりを眺めてみると、なにやら胡乱な気配がする。何とは特定はできないものの、たしかに避けてとおるに越したことがない、という雰囲気なのだ。
じつはわたしもこどものころからそういう感じを度々もったことがある。言葉では説明不能の感覚なのである。その場でなにやら感じる、それだけのことであるから、その場に立ってみないことにはどうにもわからない。さて感じては見たものの他に説明ができないものであるから、あっちへ行こう、とその場をただ避けるだけのことである。
反対の場合もある。気持ちが安らぎ、のんびりとくつろぎ高揚さえ覚える、ということもある。人と人とが作り出す雰囲気のことを指しているのではない。そのような場がある、といいたいのだ。
妻の実家から、義母と義姉とともに出発して二台の車でイタリアへむかった。我が家の車にはわれら三人だけであった。豚児は後部座席であまりの退屈さにブツクサがたえなかった。
オーストリアへの国境越えあたりがその退屈さの限界であったろう。当然、休憩をとった。あたりの景色の美しさはわれら夫婦にとっては退屈しのぎではあったが、豚児にはそうではなかったらしい。いよいよそのブツクサのヴォルテージが高まってどうにもならない。
イタリアとの国境越えのときに、彼があとどれくらい、とたずねた。あと二時間くらいかな、との答えに彼はもう失望の極にいたっていたと思う。ところが、ブレンナー峠をこえて山間の広い谷間を南へ南へと下ってゆく間に、なんと豚児は鼻歌を歌い始めたではないか。
それまでのブツクサと退屈をすっかりわすれたかのごとく、冗談までいってはしゃぎだしたのだ。それから到着するまでの時間が、そのおかげで愉快なものになったのはもちろんであった。それはまもなく到着するから、という心理的な開放感からではなかったと思う。南チロルの谷間がもつなんともいえぬ穏やかで明るい「空気」に感応してしまったのではないか、と今では考える。
それまでイタリアというとある偏見をもって望んでいた息子であるが、南チロルの地はその気持ちにぴったりとおさまってくるものがあったようである。
わたしも妻もその地に風水のよさに感じ入っていた。妻は子供のころから幾度となく訪れている場所ではあるが、息子の反応とわたしの見方に促されてそれまでの経験を点検総括してみたようである。そして何故彼女の家族がそれまでくりかえしその地を訪れてきたか、それはもちろんそこでの滞在がよい印象をもたらしてくれたからではあるが、今その理由として、風水のよさ、ということに思い当たり、それにつきているとやはり考えたようだ。
風水とは、シナの思想であるが、読んで字のごとく風と水のありさまを風景から読み取ることである。よい風水は、よい社会環境と人間生活をもたらす。だからよい風水を選んで家を構えなければならない。アルプスから南にむかって二つの山脈にはさまれて展開するひろい谷間。まるで二つの龍が両脇をまもってくれているがごとき谷間である。風は柔らかく山から吹き降ろし、また南から北へと吹き上がる。谷間は山から下り落ちる水をあつめて南のガルーダ湖へと注ぐ。光は谷間に満ち、葡萄が豊かに実る。
この地を始めておとずれた息子は、その地の風と水と光にいちはやく感応したものであろう。風とは空気の流れであるから、これもやはり「空気」を読んだことになるのであろうか?