マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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あいかわらず風邪さまに畏れいる日々が続いている。どうも歳のせいか治りが遅いようだ。栄養価の高い食事を摂り、ゆっくり休み、その上ヴィタミンやら生薬やらをこまめに体に与えていてこうなのであるから、もうどうにもならない。いますこし畏れ入ることにしよう。
そんなわけで今年の万聖節のお墓まいいりはさぼってしまった。昨年も書いたことであるが豚児がお世話になった方とそのご主人のお墓に参るのがわが家の万聖節の過ごし方なのである。
F夫人は、ある大製鉄所に労働者として勤めた父をもつ、れっきとしたプロレタリアート出身であった。自分は理容師として働き、同じ階級の夫に嫁ぎ一男三女をもうけた。三女のところの孫たちの子育ても終わり暇をもてあますようになったため、我が家で出した「ベビー・シッター求む」の新聞広告に応募してくれたのだった。たくさんの方々が応募してくれたのだが、その気さくで明るい人柄を見込んでF夫人に決めたのだった。
夫人というとどうもマダムといわんばかりで、彼女の気さくさが伝わらない。ここからは「Fおばさん」とでもしておこう。ドイツ語では、「Frau」FといっていたのであるからF「さん」でいいのであるが、日本語の「さん」では男女の別が不明確である。不便なものだ。
さて、われら夫婦の期待どおり、Fおばさんは親身になって一歳あまりの豚児を小学校入学直前まで面倒を見てくれた。豚児が幼稚園最後の年の夏、彼女の胃に癌が発見され治療と養生に専念するため身を引かれることになった。
それでも小学校入学式には、手術後の弱った身体をだますように出席してくれて豚児にお祝いまでくださった。豚児のF夫人への思いは深く、ちょうど三人目の祖母のように慕っていたし、Fおばさんもまたわが豚児を自分の孫のように可愛がり、そして小学校入学を喜んでくれたのだった。
その年の冬をのりこえもうすぐ春も近いというころ、Fおばさんはその闘病の甲斐なく卒時として逝かれた。クリスマスのころ一度わが家を夫妻ともども訪れお土産を豚児にいただいた。それがFおばさんに生前会った最後の機会であった。それゆえその時いただいたお土産、F1フェラーリの模型が彼女の豚児への最後の贈り物となってしまった。
あとでF氏にうかがったところによると、死期を悟ったFおばさんは、その冬、ゆかりの人々を訪ねひそかに別れを告げていたのだという。そういわれて思い起こせば、あまりに唐突な訪問ではあったし、おばさんのやせ細った身体は痛ましく感じられたのだった。しかしあいかわらず明るいおしゃべりと、いつもながらの簡単な別れの挨拶にすっかりだまされてしまったわけだ。といえば聞こえは悪いが、夫人のそれがせいいっぱいのわれわれへの思いやりであったことを思うと目頭が熱くなるのをとめることはできなかった。
さてFおばさんのお葬式の日は、休暇をとって参列した。おばさんの我が家における役割は予想外に重く、それはおばさんがやめてから日々直面した事実がそうわからせたのであるが、その数年とはいえお世話になったことへの感謝と愛惜の念を表するために是非ともそうしたかったのであった。
プロテスタントのF家であるから、式は質素であった。墓地に併設されたチャペルで簡素に行われた葬儀には、故人を偲ぶ人々でいっぱいだった。前日の雪がまだ残る戸外のようにチャペル内も冷え切っていた。それにもかかわらず、いつもは我慢の足らない豚児も事の次第をわきまえたのか、いささか長い牧師の説教を辛抱強く我慢していた。
それから一年たったある日、まもなくFおばさんの一回忌というころ、F氏の訃報が届いた。買い物中にとつぜん倒れそのまま逝ってしまったという。心筋梗塞であったということだ。
時期が時期だけに、亡妻が、夫婦仲のきわめてよかった、傍目にもそう見えた、その伴侶を冥界へと呼んだのであろうと、みながそう口々にいっていた。なるほどこういう事柄についての考えは国の東西になんの変わりもないのだとしばらく感嘆することになった。
そういうわけでいまお墓には夫妻がしずかに眠っている。キリスト教では死後の魂は天国か地獄へ行くか、あるいは煉獄を彷徨うかであるから、もちろんお墓に魂がいるはずはないのであろう。
それでもお墓参りをするということはある。故人を偲ぶための儀式であろうか。
そいえば佛教では本来お墓というものは設けない。理由は、死者は輪廻にもどるか成仏して輪廻を離れるかするため、墓は必要としないからである。日本の仏教の寺に墓があるのは本来矛盾である。それは儒教の影響であろう。位牌をつくるのも儒教的である。
それはそれとして、わたしのような異教徒が、カソリックの行事である万聖節に、プロテスタントであった死者をお墓に訪ねること自体が元来リクツにあうことではないのである。
しかし宗教の違いをこえて、やはり人と人とのつきあいには、多少の文化的差異はともなうものの、気持ちのうえではなんら変わりはないのである。豚児の幼かったころの思い出にはいつもFおばさんがいるのであるから、わたしは以下のように考える。死者を愛惜するということはつまりは、死者がまだわれらの家族や友人であったころの自分の過去を愛惜しているのだ、と。
不覚にも畏れ入る日々がつづきお墓まいりのできなかった今日、夜になって昨夜ハロウインの一部跳ねあがりのガキども騒ぎもなく、しずかな初冬の冷え込みである。
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