マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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以前、「聖・マーティン祭がまたくる季節」において、
「このころは、英米では十月三十一日が「ハロウィン」、ドイツでは十一月一日が「万聖節」、どちらもあらゆる聖者聖霊が集まることを祝う祭日である。ドイツでは、日本の彼岸のようにお墓参りの日でもある。」
と述べた。
元来、「ハロウィン」はドイツの歳時記にはない。発生の起源はともに「万聖節」であろうが、英米とドイツではその言葉とともに風習においても表現方法がことなっているようだ。だいたいその「万聖節」の日付が一日ずれている。
ちなみにドイツでは、十月三十一日はあのマルテイン・ルッターの誕生日として祝う。ただしプロテスタント(ドイツでは「evangelisch」という)地域だけであるが。その地域ではこの日は休日。その他の地域は、翌一日が休日である。
英米の「ハロウィン」の過ごし方は、ドイツの「聖マーテイン」によく似ている。しかしドイツの「万聖節」はすでにのべたように「お墓参り」の日なのだ。聖人の日と死者の日が混乱している。
しかし「ハロウィン」にも死者の日との混乱が見られるのは、諸氏諸嬢ごらんのとおりである。
この英米とドイツとの風俗習慣の表現の違いは、もちろんクリスマスにも見られる。
英米では、「Merry Christmas」といってにぎやかに過ごすようであるが、ドイツでは家族だけでしんみりと、しかし和やかに過ごすのが普通である。ドイツ語では、「Frohe Weihnachten」という。この「Frohe」は英語の「Happy」に近い語感である。しかし「merry」(にぎやかで楽しい)という語感がまったくないわけではない。それでも街中騒いで回る、などということは一部の跳ね上がりを除いてはない、のである。
イタリアの友人宅では、まったく英米にもドイツにも似ていないクリスマスの過ごし方があるのだが、またその時期になったら詳述しようと思う。
イタリアには、クリスマス・ツリーがないことだけは言っておこうか。それでだいたいはお察しがつこう。
ドイツ人のバカ騒ぎといえば、それはもうカーニヴァルに止めをさす。そしてその始まりの日は、「聖マーテイン」の翌日十一日である。この日の十一時十一分十一秒をもって各カーニヴァル・グループは、祭りの準備に入るのだ。
そうして暗い長い冬の鬱陶しさから逃れようというわけなのである。
しかしこれはほとんどがカソリック地域の歳時記である。堅苦しいプロテスタント地域にはない。
とはいえほぼ半数づつといわれるカソリックとプロテスタンの信者の居住地区は微妙に入り組んでおり、簡単に「あそこはカソリックだ」、などとは断定しがたい。
あえて大きく分類すれば、北がプロテスタン南がカソリックとなろうか。
わたしが住む地域はどちらも入り混じっていて、ちいさな街でも両方の教会がある。
無信仰者が増加しつつあるとはいえ、ドイツはまだまだ古い風俗習慣によって日常生活が刻まれているようにわれわれ外国人には見える。
しかしそれでも「ハロウィン」などという、本来自国の歳時記にはない行事が、おそらくハリウッド映画やTVの影響であろう、年々盛んになっていくのを間近にみていると、歳をめされた世代の方々とともにこちらも知らずに眉をしかめてしまうのである。
若い世代の両親をもつ子供たちからこの「ハロウィン」騒ぎの波は静かに広がりつつあるように思われる。
しかしすでに述べたように、その行事は十一月十日の「聖マーテイン」によく似ているのであるから、短い期間中に二度も子供たちが提灯をさげて隊列をくんで訪問してきたとはいえ、両方へお菓子や果物などを与える、ということは大人たちにも抵抗がある。
我が家でも、「ハロウィン」で訪ねてきた場合は、また「聖マーテイン」に来なさい、といって何も与えない。なにも吝嗇というわけではないが、その国の歳時記を混乱させる一時の流行に肩入れするつもりがないだけなのである。