マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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探鳥についていささかの薀蓄をば、いやみにならない程度にぶちまけようと思います。ってももう現役じゃないので、昔の思い出話になりそうなのが年寄りくさくてやなんですが。
探鳥とは普通、バード・ウオッチング(Bird Watching)などとアメリカ語で呼ばれますが、あたしはあえて「探鳥」と呼ばせていただきます。意味は特にありません、ただ日本語としての語感の個人的趣味に過ぎません、あしからず。
じつは、あたしが探鳥にのめりこむ前は、スポーツ・フィッシングをやっておりました。ルアーとかフライとか、疑似餌を使う、おもにサケ・マス科の魚類を対象とする釣りです。
よって釣り場所は、おもに渓流や山の湖になります。これだけでも積もるハナシがたんとあるんですが、今回は探鳥がテーマですから、思い切りはしょります。
さて高山地帯でひたすら「つれない」(駄洒落わかってね、お願い)魚たちに向かって竿を振り続けていると、もちろんだんだん飽きが襲ってきます、「ああもう今日は駄目かな」とか、「魚がいないんじゃあないか」とか。そんな心が虚しくなる時、ふっと耳についたのが遠くの方で鳴くカッコウの声でした。山に木霊する「カッコー、カッコー」という澄み切った声、魅せられました。
そしてだんだんと魚よりも野鳥のほうに興味が移行していったのです。
疑似餌釣りは、キャッチ・アンド・リリース(Catch and Release)が基本ですから釣りあげた魚はまた放流しますが、それでも魚体を必ず傷めます。それと比較するとただ野鳥を眺めるだけの探鳥のほうがいかに自然にやさしいか、と赫然として「無益な殺生はもう止めよう」と、いわば悟りにいたったわけです。そのフィールドがそれまでの釣り場と重なっているのが好都合でした。
そして何か始める時の個人的な癖にならって、関係する本をまず読み始めました。
なかでも感銘をうけたのが、斯界の大先達・中西悟堂先生の『野鳥記』と、W・H・ハドスンの『鳥たちをめぐる冒険』でした。