マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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【再録に当たって】
こうして再録しようと再読してみて、イザ版の趣旨から激しく浮き上がっているのがわかります。ゆえにアクセス数も少なかったようです。こんな文章を実は書きたいのですが、イザ版ではなかなか勇気がいります。この点からも別館を開いてよかったなあ、と思っています。再録に際し、若干の字句を改めました。
以前、『イタリア夜想曲』の訳者としてその名前をあげ、さらに後ほど詳しく述べると予告した須賀敦子さんの作品との出会いを前回述べました。
がしかし、後になってわかったのですが実はその前に、『ある家族の会話』ナタリア・ギンズベルグ著、白水社を読んでいたのです。それは須賀さんの和訳でした。その本は、イタリア好きのあたしのために家内がある年の誕生日に送ってくれたものでした。まだ東京に二人で住んでいた頃のことです。
あたしは基本的に翻訳書というものを好みません。いつも変な日本語にあって辟易するからです。後に自分で少し翻訳をするようになってその苦労もわかるようになりましたが、しかしこの『ある家族の会話』にはなにも違和感がなく、いい日本語だなと思ったことを覚えていたばかりで、訳者の名前は記憶していませんでした。きっと立派なイタリア文学研究者なのだと思うばかりでした。
須賀敦子―霧のむこうに
今はしかし、その「小説」の世界にもどりましょう。
続けて『コルシア書店の仲間達』『ミラノ霧の風景』『トリエステの坂道』と書かれた順番も無視して読み続けたのち、彼女の作品があたしをつかまえる理由もうすうす理解できてきました。
それは彼女の運命と文章を発語するにいたったその内的経緯だったのです。人は何故小説を書くのか?作家それぞれがその答えを示してくれますが、須賀さんほど特異な例があるでしょうか?
それは多分「神」がお導きになったものとしか思えません。あたしは仏教徒で須賀さんのようにカソリックの神は信仰しません。がしかし、「神」がお導きになった、須賀さんご自身がそうお思いになってあれらの作品群を書かれたのではないかと、そう想います。それは祈りにも似た行為だったのではないでしょうか。
彼女のイタリア人のパートナーがあんなにも早く亡くならなければ須賀さんは、イタリアで日本文学翻訳者として活躍し続け、日本にイタリア文学を紹介し続けるイタリア文学者としてその生涯を送ったはずです。
しかし運命が彼女を日本へと送り返しました。それは彼女にとっては不幸ないきさつによるものでしたが、日本の読者にとっては幸福な出来事でした。作家・須賀敦子を日本は持つことができたのですから。
そしてその作品群をほぼ書き上げると彼女もまた「ひとり足早に歩み去った」のでした。
そこにこそ須賀敦子の作品を読む意味があるような気がします。
ある日本人がいて、ある外国文化と深く関わり、作家と「ならされ」そしてその深く哀しみに満ちた生涯を美しい日本語で表現し日本の読者に残してくれた。
それができて、作家としてそれ以上なにを求めることがあるでしょうか?たとえ短い生涯でもこれだけの仕事を残すことができた須賀敦子さんの幸福を祝福せずにはいられません。いまはただ須賀敦子さんの冥福を祈るばかりです。