マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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ギンズブルグの『ある家族の会話』には、その家族だけでつうじる言葉についての描写がありました。
ある親密な共同体、たとえば家族のようなものですが、おのずと言葉にしなくてもつうじる物事があります。それは隠語や符牒のようなもので理解しあえる言語環境がかもし出される、ということでしょうか?
家内の家族では、ある季節、すなわち晩春の一時期なのですが、そのころになると、誰からともなく「あの場所(der Ort)は、どうなっているだろうか?」、「あの場所へいってみよう」と語りはじめるのが常となっています。
その場所とは、家からはかなり離れた別の街の郊外にある森の、そのまたはずれにある、ある斜面なのです。
そこは小さな桃園なのですが、そこを訪れる目的は、桃の花でも実でもありません。
そこは南向きの緩やかな斜面になっていて、四月になると、桃の花も散り、桃の木の下にさまざまな野草がいっぱいに咲きそろうのです。
なかでも、「Sclüsselblume」(鍵の花)といわれる、辞書では「サクラソウ類の花」「プリムラ」などとでていますが、どうも全然ちがうものにしか思えない、その野草が豊富に咲きそろうのです。いちど、だむエリちゃんにささげたあの花です。
亡くなった義父が、とくにこの花を愛で、その季節になるといても立ってもいられず、その場所へと赴き、大好きなブルックナーを口笛で奏でながら、まるで少女のように嬉々としてその花を手折って小さなブーケを作り、そしてそれを義母に大げさな身振りで捧げる、ということをしておりました。
いまはそれも思い出、その共通の思い出が、また家族を結びつける絆にもなっているのです。
義父が亡くなってからは、あまりそこへ出かけることもなくなりました。もういない人の思い出に哀しくなるせいかも知れません。
この復活祭の日曜日、誰からともなく、「あの場所はどうなっているだろう?」「行ってみようか?」という話がでて、そして数年ぶりに、その場所へそろってでかけることになりました。
その場所は、その場所のようにあるべき形をしてわれわれを迎えてくれました。
われわれ家族はその場所にすわって語り合い、共通の思い出を胸にしながら、午後の長い時間をすごしたのでした。
義父の亡くなったときはまだ幼く、その記憶もうつろな豚児も、なぜかその場所が気に入ったようで、一人でながいことその場所で遊んでいました。
その場所が、われわれ家族にとっての「アルカデイア」ということを、知らずに感じ取っていたのでしょうか・・・・?