マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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あたしは、バーバリーのレイン・コートを愛用している。
オリーブ色のステン・カラーである。
それは叔父の形見として叔母よりいただいたものだ。もう20数年前のことである。
それよりずうとお世話になっている。なんの不満もない。
雨と風をしっかりと防いでくれる頑丈でしかも軽いコートである。
一度として手ばなそうと思ったことはない。しかし、息子が望むなら与えてもよいとは考える。
それまできっと丈夫で、あたしの残りの人生につきあってくれるだろう。
今日、バーバリーがシナの品質基準を満たしていないとして上海の店からの撤去を勧告されたそうだ。
きっと偽のバーバリーだろう、とまず思った。
あるいは、シナの品質基準のほうこそ不合格であろう、考えた。
しかし、どうせ政治的動機によるものであろう、とさらに考えた。
卑劣なやり口である。
あたし自身が侮辱されたようにも感じた。
この侮辱は生涯忘れまいとも思った、そしてバーバリーのコートを息子に手渡す際、必ずこのことを息子に告げようと思う。
そのころは、もうシナでは今の政権は消滅しているやも知れぬ。
それならば、なおよい。
愚劣な政府がシナにあったこともついでに語り継ごう。
そしてバーバリーのコートは、シナの政府より品質において優れることも。
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今はもう夢とも現(うつつ)ともつかぬ、ただ大脳皮質のどこかにこびりついたシミのような回憶になってしまった。
男の運転する古いアルファ・ロメオは、あちこちガタピシいわせながらもどうにか動いていた。
もちろん信号は、他の車同様に無視をして通り過ぎる。
トレド通りを北に向かって、ダンテ広場の手前を左に入った。そこは名高い、かのスペイン地区である。
薄緑の街灯が妖しく町並みを染めている。夜だというのに通りで遊ぶ子供たちがいる。
夜間あえて踏み込みたくない場所であるが、男はカラビニエリであるし、車から出なければいいからと、やや安心してガイドをまかせた。
通りに駐車した、おもに古いフィアットなどの車で、完全な形をしたものはひとつとしてない。
片方のランプがない、バンパーがない、ドアがへこんでいる、屋根がぼこぼこである、などなど。住民の荒んだ心持が伝わってくる。
あちこち一回りしてくれたが、見れば見るほど心が沈みこむ風景である。
最後のほうでは視線はその風景に向けられてはいるものの、もう何も見てはいなかった。
さて、70年代ものアルファ・ロメオは、そこを出た後、海岸に沿ってしばらく走り、そして高台のナポリ湾が一望にみわたせる岬に達した。
背後に薄黒くベスビオスがうずくまり、手前右にはこれもまた墨を流したようなナポリ湾。そこに突き出した卵城が照明をうけて浮かび上がっている。
左の高台は、サン・マルティーノがこれも照明でナポリを祝福するように光っている。
その下あたり、こまかく薄緑の街灯に区切られているのが、いま通りすごしてきたスペイン地区であろう。
こうしてみると何も感慨はない。ただの市街地のようにしか見えない。そこに住む人々の気持ちも何も伝わりはしない。
ただ街は闇の中に沈み込もうとしているばかりである。
このシリーズは、イザ版で主にシナを対象に続けてきました。
そこからはみでるものを、こちらにアップしようと思います。イザ版同様ごひいきに。
『鳥たちをめぐる冒険』(黒田昌子訳。講談社、昭52年)は『Adventures among Birds』W.H. Hudson, 1913,の和訳本です。木版画の挿絵が豊富に入った美しい本です。原文は読んでいませんが、こなれた日本語なのでなんの違和感もなく読め、一時はわたしのバイブルでした。
さてその中にはいくつも日本では見られない鳥たちが紹介されていました。
一つめが、「クロウタドリ」索引によれば「Blackbird」とあります。ビートルズの『White Album』に同名の曲があるのをご存知の方は多いでしょう。そこにはその鳴き声もちゃんと録音されています。この曲を始めて聞いた中学生のわたしは、「なんて美しい声なんだろう」としか思わず、その姿がどうかなど思いも及ばなかったのです。
さてその「クロウタドリ」は、ハドスンは次のように紹介しています。
「そして何よりもあのクロウタドリ、黄金色の嘴とフルートの音声を持つ、黒檀色の大ツグミ。」
「私が寝ていたすぐ横の壁の外側に大きなねずこの木があって、ちょうど枕の高さのところにクロウタドリが巣をつくっていた。毎朝三時半から鳥はうたいはじめた。短い間をおいて何度もくり返し、ほぼ三十分もうたいつづけた。」
いろいろと想像してみるのですが、どうもイメージがわきません。挿絵をみても、黒いツグミとしかわかりません。
それがやっとわかったのは、はじめてドイツを訪れた時のことです。ちょうど初夏のころでした。夜もまだ明けぬころ、窓の外のお向かいの庭で何やら知らず美しい鳥の鳴き声が聞こえてきます。その頃はまだ「友達」だった今の家内にあれは何かと尋ねますと、「Amsel」というのだと教えられました。
それが「Blackbird」だと知ったのはずっと後のことでした。そして公園などでよく見かける嘴の黄色い小さなカラスのような、しかしよく見ればツグミの類にちがいない鳥が、そのAmselだと知るまでもまた少しの時が必要でした。
しかし分かってみると、ハドスンが描写した「クロウタドリ」がいかに的確だったかが納得されました。そして和訳の「クロウタドリ」も,
黒くてよく唄う鳥、まさにその通りではありませんか。
いまでは、この「Amsel」が唄いだすのを、それは巣つくりのためのメスの注意を引こうとするオスの求愛の唄なのですが、またオス同士が縄張りを主張しあう啖呵でもあるわけですが、「ああやっと晩春だ、もうすぐ夏が来る」と心をウキウキさせて待つおいちゃんでした。
探鳥についていささかの薀蓄をば、いやみにならない程度にぶちまけようと思います。ってももう現役じゃないので、昔の思い出話になりそうなのが年寄りくさくてやなんですが。
探鳥とは普通、バード・ウオッチング(Bird Watching)などとアメリカ語で呼ばれますが、あたしはあえて「探鳥」と呼ばせていただきます。意味は特にありません、ただ日本語としての語感の個人的趣味に過ぎません、あしからず。
じつは、あたしが探鳥にのめりこむ前は、スポーツ・フィッシングをやっておりました。ルアーとかフライとか、疑似餌を使う、おもにサケ・マス科の魚類を対象とする釣りです。
よって釣り場所は、おもに渓流や山の湖になります。これだけでも積もるハナシがたんとあるんですが、今回は探鳥がテーマですから、思い切りはしょります。
さて高山地帯でひたすら「つれない」(駄洒落わかってね、お願い)魚たちに向かって竿を振り続けていると、もちろんだんだん飽きが襲ってきます、「ああもう今日は駄目かな」とか、「魚がいないんじゃあないか」とか。そんな心が虚しくなる時、ふっと耳についたのが遠くの方で鳴くカッコウの声でした。山に木霊する「カッコー、カッコー」という澄み切った声、魅せられました。
そしてだんだんと魚よりも野鳥のほうに興味が移行していったのです。
疑似餌釣りは、キャッチ・アンド・リリース(Catch and Release)が基本ですから釣りあげた魚はまた放流しますが、それでも魚体を必ず傷めます。それと比較するとただ野鳥を眺めるだけの探鳥のほうがいかに自然にやさしいか、と赫然として「無益な殺生はもう止めよう」と、いわば悟りにいたったわけです。そのフィールドがそれまでの釣り場と重なっているのが好都合でした。
そして何か始める時の個人的な癖にならって、関係する本をまず読み始めました。
なかでも感銘をうけたのが、斯界の大先達・中西悟堂先生の『野鳥記』と、W・H・ハドスンの『鳥たちをめぐる冒険』でした。
吾輩はなにが嫌いといって、アメリカン・コーヒーほど嫌いなものはない。
あんな泥水のようななま薄いものを、がぶ飲みするくらいなら死んだほうがましである。
コーヒーという語感も好かん。
カッフェでなければいかん。ドイツのKafeeもよろしくない。量を消費する仕掛けが気に喰わん。
つまりエスプレッソこそ、カッフェであるのはイタリア人と同じである。
少ないがきついカフェインをさっと供給する。胃のもたれもない。
しかし、イタリアではなく「野蛮人の国」と呼ばれるドイツくんだりに住む情けない身の上、「ちょいとそこのBarへカッフェを飲みに」というわけにはまいらん。
そこでこんな機械を使用してみた。
そこそこのものはできる。がしかし、あの本式のマッキナ(machina, 機械)が抽出するエスプレッソの香りがいまいちないのが不満である。
というわけで、イタリアの友が送ってくれたのがこれである。
これもマッキナという。しかも家庭ではみんなこれでカッフェを沸かすのだから、いわば本モノである。
上下二つにわかれた容器の中間にフィルターがあり、そこにカッフェ・パウダーをギュッといれこむ。下の容器に水を入れ、火にかける。
沸騰すると熱湯がフィルターのカッフェを漉し出して、上の容器にたまる。
実にすぐれた仕掛けである。マッキナの名に恥じない。
友の家に泊まると、朝このマッキナでつくるカッフェの香りで眼が覚める。
その気分を家でも味わえる、うふふ。諸君もカッフェを飲むなら是非、このマッキナを使用した方が良いと思うよ。