マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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長々と歴史のお勉強のごときものを並べ立ててしまったが、ここからが大切な妄想の中心である。
学生が準備が整うと導師が現れる、という言葉がある。どんな立派な老師でもボケッとした学生では何も教えることができない事の反語的表現でもある。がしかし、この言葉どおりに受け止めてもよい。それは「偶然」に起こるのである。
「なにもの」かがそのように手配するもの、と考えられる。真理とはそのように伝えられるものなのであろう。
空海のシナへの遣唐使船乗船までの七年間の行方は謎である。故郷の四国の深山幽谷で日本古来の修験道の修行をなしていたともいわれる。
その行の終わりに室戸岬において明星が口に入るという、奇跡があったといわれる。
その奇跡の力のせいか唐に渡ってからはたった二年のうちにシナ語を修め、またサンスクリット語も学んだ。そしてシナ密教の最高阿闍梨・恵果から灌頂をうけてその後継者となったのである。
恵果はなぜ日本からの留学生・空海をその後継者に選び、灌頂をおこなったのであろうか?それはもちろん空海の器を見込んだからであろうが、あるいは恵果はもとからそのような後継者が現れるのをあらかじめ知っていたのかもしれない。
いずれにせよシナに渡った密教は、その正統な後継者・空海により日本へもたらされたのである。
密教とは、釈迦という人間の口から説かれた説法すなわち顕教とことなり、大日如来が仏の言葉(真言)で直接説くものであるため、そのままでは人間には理解不能である。そこで神秘的な修業体験を通じてその真言にアクセスするものが密教である。
そしてその密教の正統な本流が日本に保持されて今に至るのである。
このことの意味は限りなく大きく深い。
わたしは密教の修業体験はないから、そのように頭で表層を理解したつもりになっているだけである。が、それだけでも「あるもの」の意思を強く感じずにはおれない。
「そのもの」は、特殊な任務をわが国に与えているのである。この任務がわが国に与えられるのを境とするように、シナは衰退をはじめ、日本は栄えてきた。
ヤマトの国が仏教の成立とほぼ同時期に建国されたのは、まさにこの任務を受け止めるためだったのではないだろうか?
そのような「ある意思」を感得するのは意識ではない。いうもいわれぬある力、ユングなら無意識というだろうが、その不思議な力なのである。
かって仏教が栄えたシナは、元来よりの物質至上主義の無神論的混沌へと戻っていった。そして今や巨大なリヴァイアサンとして世界を滅ぼそうとするかのようにその混沌を広げようとしている。そしてその悪意の狙いの一つは日本に中てられている。これで日本のなすべき任務が歴史的、文明的なものばかりではなく霊的なものであることもお分かりいただけよう。
シナという「仏敵」を打ち滅ぼさねばならない。日本国内に巣食う自称「仏教徒」集団も同様である。真の「仏敵」は「仏」の振りをしていることもあるのだ。まさに悪質である。
シナとの戦争が実際の軍事行動ともなればまた多くの命が奪われる。ゆえにシナ的無神論との戦いは霊的世界で行われるであろう。
シナ自体にも霊的回心がおこる可能性がないともいえない。法倫功の広がりを見れば期待がもてるのか知れない。
荒唐無稽、寝言のごとき御伽噺と思われる方もおられよう。が、このこと少しづつ解明してみたい。しかし思わぬところまで横滑りしてしまった。また仏教に関する耳学問知識にも限りがあるので、次回はまたユングへと戻ってゆこう。
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