マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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ここである仮説を述べておきたい。ことは宗教に関することである、が、わたしは宗教者ではない、ただいささかの経緯により仏教を信ずるにいたった自称仏教徒にすぎない。とはいえ、もちろん煎餅関係ではない。
それはユングの思想に関するものでもある。ユングは宗教と科学をクローズさせたと簡略化していってしまおう。
科学以前では、宗教こそが人間にとって現在の科学がもつ役割をになっていたものであるが、迷信に落ち込む事により科学の発展を促した。しかし科学もまた迷信されることにより人間の自由な思考を縛るようになって、また宗教の重要性が高まったといえるかもしれない。
ユングこそは、宗教を科学的にとらえることによりその両者が実は同一物であることを人間に理解させてくれたのかもしれない。それは「偶然」に科学の側からの宗教へのアプローチがあったからでもある。そのことについてはいずれ述べたいと思う。
今は、ある仮説についてである。
なぜ仏教は東進したのか?ということである。
仏教の発生したのは、ご存知ととおりインド北部地方であった。その後、インドではヒンドゥー教の中へと溶解してしまった。(その後、インド独立後、アンベードカルによる仏教「ルネッサンス」により復活した。)
そしてご承知のように南北二つの流れとなって東進した。南ルートのいわゆる小乗仏教(または上座部仏教、南伝仏教、阿羅漢仏教)は、修行者(阿羅漢)みずからの悟りを追い求める。在家信者は修行者へ布施を行うことによって功徳を積むことができるだけである。
インド北部の民衆仏教信仰が、アフガニスタンから西域さらにシナへと伝わっていった。いわゆる大乗仏教、あるいは阿羅漢にたいして菩薩仏教ともいわれる。菩薩は出家してもいいし在家でもよい。成仏をめざして歩むものすべて菩薩であるからである。
北路チベットへむかったものもある。チベットにおいては仏教は独自の発展をみ、ラマ教として今に至る。これは密教である。密教の説明は後述する。
インド北部を中心に考えれば、チベットにしろタイやビルマにしろ仏教信仰が伝播したことは地理的に無理なく理解できる。しかしなぜ仏教がシナ、モンゴル、朝鮮、そして日本へと伝播したのだろうか?
まずヒポテーゼを述べておこう。それは「あるもの」の意思であったからだ。
ある宇宙的な意思を仮定する。それは形而上的(メタ・フィジック)なものであるから、われわれ形而下の物質世界に生きる者たちには普通感得されない。
それは「神」とも名づけられるし、「デウス」「アッラー」「テングリ」「大日如来」などとも名づけられる。しかしそれは人間の文明的な背景から違った名で呼ばれるに過ぎず、同一「物」(もちろんメタ・フィジカルな「もの」である。それはんもちろん物理的な「物」を超越している)であるといってしまおう。
<続きは次回に>
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