マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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前回、フランス・アルザス地方の特殊事情を紹介しましたが、首都パリでも以前ほどはフランス語中心主義ではなくなっています。
店に入ってフランス語ができないから英語、またはドイツ語でしつこく話していると、それなりの対応力のあるものが何処からかでてくるのが痛快です。
まあ、こっちはお客だからそうなのかもしれません。たとえばお役所なんぞはあいもかわらずの対応なのでしょう。
しかし徐々に氷がとけ始めてはいるのでしょう。またEU各国、とくに独仏の間ではそれなりの努力がなされているのです。
たとえば独仏軍の創設。独仏共同経営のTV局。高校生の相互交換ホームステイ。などなど地道な相互理解が深まっているからこそのことでしょう。
また人・物・金が自由に流通するようになってからは、人の行き来がより頻繁になり週末に旧「国境」を越えて他国に買い物に行くのはあたりまえになってもいます。
われわれ家族も時には、香港式の「乳猪」(子豚のグリル、皮がぱりっとして肉が柔らかく美味)を食しにオランダへ赴くこともあります。
ユーロが導入されてからは面倒な換金の手間もないのでより気楽に「越境」することになりました。
そのさい、以前は気をつかって英語を話すようこころがけていましたが、今はすこし面の皮を厚くしてドイツ語で押し通してしまいます。
つまり前回にのべたフランス言語帝国主義のドイツ版をみずから演じてしまっているわけです。
もっともそれは各地の休暇先でドイツ人がとる態度そのものなので、ふと赤面したくなるときもあります。
<続く>
おまけ
勿忘草(Vorgiß mein nicht = Forget me not)