マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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春の花々を少しやすんで、気がついたことについて述べておこうと思います。
EU成立(1995年)以来の、欧州における多元語化についてです。
たとえばフランスは言語「帝国主義」で、どこにいってもフランス語を使用し、他国人がフランス語を話すことを強要する、という態度でした。フランス国内においてはもちろんそうで、しかも正しいフランス語をしゃべらないと相手にもしない、という高慢さがよく話題になったものです。
しかし今ではその気風もやや緩んできているように思われます。
少し前にストラスブールにいった時のことです。その街は、かってはドイツに属していたアルザス地方の首都であること皆さんご存知のことと思います。
アルザスは、ナポレオンによりフランスに強奪され、ビスマルクが普仏戦争で取り戻し、第一次世界大戦でフランスに帰り、またナチ政権が取り戻し、という具合に常に独仏両国の争奪にあってきた地方でした。
アルザス人はドイツ系フランス人です。一度、現地のカフェーで土地の老人達がドイツ語でだべっているのを耳にしました。それはドイツ語にフランス語の語彙をまぜた奇矯な言葉でした。
さてストラスーブールでのことです。こっちはあいにくフランス語ができません。家内がいれば通訳してくれますが、ある日一人で買い物に出かけました。
店にはいって物色しているとむこうでは必ず「何をお探しで」と店員から声がかかります。
すかさずドイツ語で、「フランス語は話せません、誰かドイツ語のできる人はいますか?」と尋ねると、その人がドイツ系のこともあり、またフランス系の場合は、同僚でドイツ系あるいはドイツ語のできるものを呼び寄せます。
その結果わかったのは、たいがいどんな店にも誰かドイツ語のできるものがいるということです。しかも若いフランス人なら片言でもドイツ語を話せるのです。
これはアルザス地方特有の現象かもしれませんが、かってはドイツ語教育が公式の学校ではなされていなかったことを考えると大きな変化です。
<続く>
おまけ
Schlüsselblume(Schlüssel>鍵、Blume>花。詳しくは稿をあらためて)
この花をだむエリちゃんに捧げます。日夜、嫌韓流にお励みのことゆえお疲れでしょう。少しでも鬱陶しい疲れが癒されますように。