マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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カネッティの両親はヴィーン留学中にしりあい、二人の会話はドイツ語で行っていたことは以前にふれました。
カネッティは以下のように書いています。
「両親が対話を始めるとき、自分が除け者にされていると感じる正当な根拠があった。彼らはその際非常に生き生きとして来て陽気になったのであり、私は自分がはっきり感じとったこの変身をドイツ語の響きに結びつけた。私はこの上もなく緊張しながら彼らの話に耳を傾け、それからあれこれの単語が何を意味するかを彼らに尋ねた。彼らは笑いながら、そういうことはお前にはまだ早すぎる、お前がもっと大きくならなければ理解できないようなことだ、と言った。」
この特殊な言語環境が、彼をドイツ語にひきつけることになったのが容易に想像されます。それは自己のよってきたる者達の秘密の会話に用いられる言語であり、また男女の愛という子供にとっては不可思議な世界への鍵でもあったのですから。
その後、両親は祖父母たちの反対をおしきり子供たちを連れ英国へと移住しますが、そこで不幸にも父が突然死してしまいます。
母は、さらにヴィーンへの移住を決心し、学業のために必須であるドイツ語を幼い息子に自ら教授することになります。
カネッティにとっての、その喜びたるやいうまでもないでしょう。彼はついに秘密にみちた憧れの言語を手にすることができたからです。しかも父に代わって保護者となるべき対象たるその母親から直接教授されることにもなったのですから。十分な誇りさえ手に入れることになりました。
このようにドイツ語を獲得できたことを、彼は「救われた舌」と表現しました。
家内によると、カネッティのドイツ語表現は実に美しいものだそうですが、あたしにはあいにくそこまで読み取る力がありません。
ただ彼をめぐる言語の状況に驚きを覚えるとともに、言語と言語表現をめぐるさまざま形に強く興味を惹かれます。
カネッティについては、これくらいに止めて、自己の言語生活をめぐって話を進めようと思います。
<続く>