マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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ドイツの「黒い森」(Schwarzwald)に発し、オーストリア、スロヴァキア、ハンガリー、スロベニア、クロアチア、ユーゴ・スラヴィア、ブルガリア、ルーマニア、モルダヴィアとつごう十カ国を流れて黒海にそそぐのが、かのドナウ河です。
ソ連・東欧の社会主義の崩壊後、あたらしい独立国と国境の再編があったので周辺流域の名前がすっかり変わってしまいました。
カネッティの生まれたブルガリアのルスチェク(Ruse)は、そのドナウの下流の港町です。
その生まれた町についてカネッティは、以下のように描写しています。
「この町はブルガリアにある、などと言ったりすれば、私はこの町について不十分なイメージを与えることになろう。というのも、そこには世にもさまざまな血統の人間たちが住んでいたし、一日に七ヶ国語ないし八ヶ国語を耳にすることも稀ではなかったからである。」
「しばしば田舎から来るブルガリア人たちのほかにもまだトルコ人たちがおり、この街に境を接してスパニオル街、つまり私たちの街があった。ギリシア人たち、アルバニア人たち、アルメニア人たち、ジプシーたちがいた。ドナウ河の対岸からはルーマニア人たちがやって来たし、私の乳母は・・・・もっとも彼女のことは覚えていないが・・・ルーマニア人であった。所によってはロシア人たちもいた。」
(自伝『救われた舌』(Die gerettete Zunge)、岩田行一訳、法政大学出版局、1981年)
なんとすさまじい状況ではないでしょうか?
交通の要衝ゆえのことでしょうが、そこには歴史的経緯もからみあっています。
トルコはかっての支配者、現在でもブルガリア国民の約10%がトルコ人です。ギリシア人は黒海貿易に従事し、祖国を喪失して流浪するアルメニア人も商業が得意です。
アルバニア人もバルカン半島南西部の故郷から西のイタリア、南のギリシア、東のブルガリアへとその貧しさゆえに移民をしているのでしょう。ジプシーはご存知の通り。ルーマニア、ロシアは隣邦です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%82%A2
それは何かヨーロッパのひとつの縮図のようにも見られます。
<続く>