マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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多様性、それがヨーロッパを表現する一番よい言葉でしょう。
気候風土、言葉、食事、文化芸術どれをとっても各国、各民族でことなっています。しかしある一定の空気、山本七平流にいうある空気がヨーロッパにはあるようです。
それはそれぞれことなる各国・各民族をゆるやかに繋ぎ合わせるなにかです。よくヨーロッパの共通基盤として、キリスト教信仰、ローマ法などが指摘されますが、住んでみてわかるのは、そこにある、ある空気の存在です。
それへの検証はまたの機会にゆずるとして、さてそろそろこの稿を起すに至った「気がついたこと」について述べようと思います。
それは今年はじめのブルガリア、ルーマニア二カ国のEU参加によって思い出したことなのですが、それ以来『ヤダヤダ日記』で述べようとしていままで実現しなかったことなのです。
エリアス・カネッティ(Elias Canetti)は、1981年のノーベル文学賞受賞者です。
しかし彼については日本ではあまり注目されませんでした。
彼はブルガリア生まれのユダヤ人、しかもセファルディム(Sephardim)というスペイン系のユダヤ人の裕福な家庭に生まれ育ちました。
ゆえに母語はスペイン語を色濃く残すラディノ語、またはフデスモといわれる言葉でした。しかし、彼の父母がウイーン留学時代にしりあって結婚したため夫婦間の会話はドイツ語でなされ、その父母の秘密の会話への激しい興味からドイツ語を自己の言語として獲得します。そしてそのドイツ語で書いた諸作品によりノーベル文学賞受賞にいたったわけです。
この作家について知らしめてくれたのは家内でした。知り合ってまもなくのころお互いの意思疎通をシナ語にたよっていた二人をカネッティの両親に例えての冗談としてでした。
<続く>
Elias Canetti, Bilder aus seinem Leben