マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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最後の7日目になった。
列車はポーランドの平野を走っている。一面の麦畑である、もう少しで収穫であろうか?
線路ぎわに野ウサギがでて、のんびりと日向ぼっこさえしている。
畑の間の野道を、一台の古いスコダが走っている。世の中すべてこともなし、というかのごとき田園風景であった。
ほとんど一日走って、列車はワルシャワに到着した。
街並みや道路も、すべていかにもヨーロッパ然としたヨーロッパである。
人の服装も、ロシアよりはるかに垢抜けている。その色使いや形もシックである。
またあのバレー団の女の子たちを思い出す。
列車はワルシャワ駅の郊外電車ホームの脇に停車した。それゆえこの街の人々の様子をかなり丹念に観察することができた。
結論。ワルシャワは、東側にはふさわしくない。
こんなあたりまえのようで誤解されやすいことを、いまさらながら確認した。
しかし、この感想は、ずっと後にポーランド人の同僚に話をしたさい、思いもよらぬ事実によって訂正されることになった。
事の始まりは、食堂車であった。ポーランド通過の際は食堂車が接続されていなかった。そのことを話したときに、その同僚は、苦い顔つきでこう話してくれた。
「たしかにその年も豊作ではあった。しかし国民は飢えていた。小麦粉に大鋸屑(オガクズ)をまぜてパンを焼いたほどだよ。」
「わかるかい?せっかくの豊作も、すべて社会主義の兄貴のために供出させられてしまったからだ。」
物事というものは、表面的には推し量れないものであることを、その時また知らされた。