マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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一日かけてロシアのヨーロッパ部を走る。風景はシベリアのように単調ではない。
新しく入れ替わった乗客たちと、また話が始まる。ただし、ポーランドのバレー団の姿が見えないのが残念だ。
シナで3ヶ月、シナ語を勉強したという若い英国人とあれこれ話しこむ。短期にしては、よく理解がすすんでいるようだ、さすが殖民地主義の後裔ではある。
短期留学の学生証を利用して、かなり奥地までおとずれているので驚く。
オーストリア人夫婦は、個人旅行での滞在だったらしい。
列車がヨーロッパにはいったので、みなリラックスしたようすである。
食堂車で、ボルシチと黒パンの食事をとる。
さすがに不味い。とくに黒パンは、その後ドイツで眼にした(口にした機会は少ない)ものより一層の黒さであった。
その食事をとりながら赫然として悟ったことがあった。
上海で、いわゆる西洋料理とされるものは、じつはロシア料理であったことだ。
陝西南路に『紅房子』(Red House)という、有名なレストランがある。それは上海人の誇りとする西洋料理店であった。たぶん今でもそうであろう。しかし建替えられてしまい昔の面影を追う事もできない。
旧フランス租界にある、西洋料理といわれていたので、フランス料理と思い込んで試してみたが、とんでもない代物であった。
その味が、ロシアを走る列車内で彷彿とされたのあった。『紅房子』のそれは、ロシア料理であったのだ。
そういえば、おしゃれなスポットといわれる上海淮海路の『老大昌』や『海鴎』で商われているパンやケーキも、すべてロシア式であったのだ。形や味に合点がいかず、フランスパンもシナ式にアレンジしてあるのだとばかり思い込んでいた。
それがすべてこの道中で明らかになった。
ロシアを「大哥」(あにき)として崇めていたころの名残であろうか?
疑問が氷解するときのすっきりとした気分に、なにかやるせないものが含まれていた。