マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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前回は、訳文解説無しの英文でした。今回は英文の大意と若干の解説をつけくわえることにしましょう。
<あるフレミングという名のスコットランド人農夫が作業中に助けをもとめる声をきき、かけつけてみると、男の子がひとり泥沼の中に胴をとられもがいていた。フレミングはその子を救い上げた。
翌日、高貴ななりをした男が農夫をたずね、助けられた男の父親であると自己紹介し、御礼をしたいと申し出た。農夫は謝礼を拒否した。そのとき農夫の息子がやってきた。男は、農夫の息子を彼の息子同様の教育を受けさせる事をもうしでた。
農夫の息子は最高の教育を受け、ロンドン医学校を卒業した。かの有名な、ペニシリンを発明したアレクサンダー・フレミングである。
その後、高貴な男の息子は肺炎にかかった、何が彼を救ったか?ペニシリンである。その高貴な男の名前とは、ランドルフ・チャーチル卿。その息子の名は、ウインストン・チャーチルである。>
つまり、チャーチルは二度もフレミングに命を救われたというものです。一度目は父フレミングに、二度目はその息子フレミングに。
なんとまあ都合よく偶然の巡り合わせがおきた事でしょう?
普通は、因果関係とは無縁の当事者にとって意味のある偶然をシンクロニシテイ(英Synchronicity, 独 Synchronizität )といいますが、それはカール・グスタフ・ユングの命名によるものです。
しかし二度目の偶然は、一度目のことがあっての因果関係がふくまれていますが、二件をあわせて一つの事件とみなすことができます。
あるものの意思を仮設してみます。そのものはウインストン・チャーチルが偉大な事業をなすべき者であることを認めていました。そして彼がいずれ肺炎となって命を危うくする事をしっていた、と。肺炎を治療するペニシリンを発明させるために、おさなきウインストンを泥沼へといたらしめ父フレミングをして救わせ、そして・・・
フレミング
こんな荒唐無稽なことが信じられるでしょうか?しかしそのようなある意思の働きがなければ、このような偶然がはたして起こりうるものでしょうか?
カール・グスタフ・ユングは、こうした働きを無意識(英、unconscious, 独Unbewusste)の働きであろうと仮定しています。しかしそれは科学では解明できない問題なのであくまで仮説(Hypothese)にとどまっています。なぜなら科学とは意識の働きによるもので無意識の働きを特定はできないからだ、ということです。
この無意識、とくにそのなかの核(コア)として人類が共有するものとして、集合無意識(英 collective unconscious、独 Kollektives Unbewusstes)という概念を創出した、そのことこそ、ユングの思想のもっとも独創的なそしてもっとも重要なポイントであろうと考えます。
それについてはまたの機会に。