マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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その年は例のノストラダムスの予言による恐怖の大王が降臨する年にあたっていた。しかし結局はなにも起こらなかった。しかし義父がみまかってしまったのが、我々家族にとっては悲痛なできごとであった。
その年の八月は皆既日蝕が欧州で見られるという事で、こちらは大騒ぎであった。ほとんどの雑誌が、子供向けから夫人向けにいたるまで、日蝕観察用の眼鏡を付録につけてそれで売り上げを伸ばそうとしていた。
しかし義父は、その日蝕を見ることなく逝ってしまった。
その夏は異常な暑さがつづいていた。義父はいつもは家で行う毎週恒例のカルテット演奏を、暑さを避けて郊外の週末用の小屋で行おうとして、家と小屋を往復中に倒れた。
暑さとストレスで心臓発作を起してしまったのだ。
普段から血圧が高く、降圧剤を常用していた。医者は断固否定したが、わたしは降圧剤の副作用も関係していたと思う。わたしは若年性高血圧で苦しんだ経験があり、降圧剤にはずいぶんとお世話になったものだが、その怖さについてもお医者様から注意を受けていたのだ。なるべくなら服用しないように、と。それは腎臓を傷つけるらしい。
案の定、というか、心臓は緊急処置でもちなおしたものの、義父は腎臓機能低下により助からなかったのだ。
夏の休暇中だった二人の義兄姉以外はみな病院で義父を見送った。わたしはまだ幼かった豚児をみるため家に残っていた。
夕方、外が暗くなりはじめるころ、妻が病院から電話で訃報をつげた。
豚児はまだそのことへの理解ができず一人でパズル遊びをつづけていた。少し涼しくなったような気がして車のなかにおいてあったサマーセーターをとりに出た。
しかしリモコン・キーが作動しない。何度もためしたが同様であった。しかたなくマニュアルでドアを開けた。そのときはなにも考えなかったが、のちにそのことを思い出すことになった。
ドイツでは、お通夜もないしすぐに埋葬するわけでもない。埋葬と葬礼は10日後と決まった。それまで遺体は冷凍保存される。だから翌日の日曜日、なにもなく退屈した息子と、わたしはTVのF1の中継を漠然と眺めていた。
すると突然、まず画像が消え音声だけが残り、そうこうするうち音声も消滅した。どこがどうしたものか、あちこちいじってみても何の変化もない。TVは突然死んでしまったのだ。
そのTVは、義父のものだった。閑なときは音楽を演奏するか、ハイファイで他人の演奏を聴くか、TVを見るかしていた義父が、よくそのTVの前の長いすで一人悦に入っている姿をみたものだ。
そこでわたしは思った。ああ、義父は愛用のTVをもっていってしまったのだ、と。
後に休暇から帰った義兄は、科学者のはしくれであるから、わたしの説には同意しなかった。彼によれば霊気は電磁波とよく似たものらしく、義父の霊気が病院から自宅へと帰り、TVに影響を与えたものであろう、というこであった。それならわたしのリモコン・キーが作動しなくなったことの説明にもなっている。
しかし、霊気を信じる科学者とは実に頼もしい。科学とは人間意識の機能に依拠するものである。それゆえ人間意識が把握できる以上の存在をその対象とすることはできない。だから科学を迷信することは宗教を迷信することよりより害は大きいのである。
人間の意識などというものは、無意識の大きさ深さからすれば、まさに表層なのであるから、そんなものに頼ってはいけないのだ。
わたしはやはりこう思う。一人で旅立たねばならなかった義父は、その寂しさに耐えかねて、愛用のTVをもって逝ってしまったのだ、と。
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