マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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『シンクロニシティ』(フランク・ジョセフ著、Frank Joseph、<Synchroncity & You>、宇佐和通訳、KKベストセラーズ、1998年)に、ある無名の音楽家の生涯が紹介されています。
ユアン・アリアガというのがその音楽家の名前ですが、ほら、みなさんもご存じないでしょう。その部分を引用してみます。「自宅で資料を整理をしながらラジオを聴いていると、モーツアルトの曲が流れてきた。どうやら初期の交響曲のようだ。CDの普及によって、これまで発表されていなかった作品の多くが日の目を見るようになった。すっかり忘れられてしまった作品や滅多に演奏されなかった作品が聴けるわれわれは幸せである。(中略)どうやら今度はモーツアルトに順番が回ってきたようだ。ラジオから流れているのは、そういう種類の音楽だった。」
「曲が終わると、アナウンサーが言った。「お届けした曲はユアン・アリアガ作の『交響曲ニ長調』でした。誰だって?(中略)アリアガという名前は知らない。しかし誰にせよ、この人物はモーツアルトの特徴を見事に再現している。私はだまされたような気分になってしまった。」
ジョセフは、アリアガの数奇な運命に興味を持ち、その音楽が似ているというモーツアルトとの比較を試みたのです。そこで驚くべきことを発見しました。
1.ファースト・ネームとミドル・ネームが共通。JohnとChristopherです。
モーツアルトの出生届けに記されていたのは、ヨハネス・クリソストムス(Johanes Chrisostomos)、アリアガのそれは、フアン・クリストモ(Juan Crisostomo)でした。それぞれは、英語のJohnとChristopherをラテン語とスペイン語読みで記したもので同義語です。
モーツアルトの名前は、ふつうウオルフガング・アマデウスとしてしか知られていませんから、フアンの両親かあるいは名付け親が、ヨハネス・クリソストムスという出生届に記された名前をしっていて、それにあやかって名づけた可能性は薄いでしょう。
2.十三歳で最初のオペラを作曲。
3.二人とも外国からパリにやってきて演奏家として、また作曲家として成功をおさめた。
4.なんと誕生日がおなじ。モーツアルトは、1756年1月17日生まれ。アリアガは、1806年1月17日生まれ。アリアガは、ちょうど50年モーツアルトに遅れて誕生し、モーツアルトが亡くなって35年目にアリアガが亡くなった。モーツアルトは35歳で亡くなったのはご存知のとおり。モーツアルトの死から15年目にアリアガが生まれた。
どうでしょうか、こんな偶然もあるのです。ジョセフは指摘していませんが、モーツアルトが生きた35年とアリアガの生涯20年を足せば、ちょうど50年。
わたしが考えるに、そのアマデウス(神の愛)という名前ゆえか、神に愛されすぎてあまりに早く神に召されてしまったモーツアルトですが、神がその早まった招聘を後悔して、再度人間界へもたらした魂がアリアガとなって降臨した、と考えるのは荒唐無稽なことでしょうか?
これはパラレル・ライフという、シンクロニシティの一種らしいのです。ジョセフは上記著書で、シンクロニシティを17種類に分類しています。ここでは紹介しません、興味のある方は、ぜひごらんになって見てください。しかし、この著書からまた引用することもあると思います。
シンクロニシティの不思議さ、深さにますますひきつけられてゆきます。みなさんはいかがでしょうか?人気blogランキングへ参加しました。よろしければ応援のクリックをお願いします。