去年の四月第一日曜日のことである。わたしたち家族は、妻の実家をたずねて帰宅する途中だった。
およそ350kmはなれた距離を、オート・バーンを走って普通は二時間半で帰れる。その日は六時過ぎに出発したから、いつもなら八時半には帰宅できたはずであった。ところがある事件のため帰宅したのはほとんど夜中の十二時近くになってしまった。
途中およそ一時間半走って、道はちょうど小高い山がうねるように連なる一帯にかかっていた。片道三車線の一番左側の最速追い越し車線を走っていたわたしのアクセルに乗せた足が急に軽く感じられたとたん、排気筒から青白い煙が噴出し、エンジンはみるみる力を失っていった。
何事かは不明ながら、エンジン・トラブルであることは確かであった。わたしはクラッチを切り余力で走りながら、右へ右へと二車線移動して路肩に駐車しようとしたところちょうどパーキング・エリアの入り口であった。
時刻はもうすぐ八時になろうとしていた。
オーバー・ヒートの可能性も考えて、駐車したあともエンジンを切らずにそのまま少し様子をみた。しかし温度計はノーマルな位置を指し示していたし、エンジンから煙も出ていない。
さっそくケータイでADAC(日本のJAFに相当)に電話をし助けを求めた。30分ほどで「Gelbes Engel」(黄色い天使)といわれるADACの黄色に塗装された車がやってきた。そのヘルパーの見立てでは、どうもエンジンに燃料を過給するいわゆるターボが壊れているようだ、ということだ。だからエンジンそのものは回転するが出力がない。
車の心臓というべきエンジンに燃料を送り込む部分が壊れてはどうにもならない。ADACからレッカー車を手配してもらい家の近くの修理工場まで送り届けてもらうことになった。
パーキング・エリアから出発した時刻は、もう九時すぎになっていたと思われる。夏時間とはいえまだ春先のこと、あたりはもうすっかり暮れてしまっていた。
レッカー車はゆっくりと走って、修理工場に到着したのがおよそ十一時半、そこから家まで歩いて帰った。
それまで何の問題もなく働いていたエンジンがなぜ急に故障してしまったのか、わたしにはどうにも納得しがたい事態であった。
翌朝、修理工場にたずねて修理を依頼すると、一週間は「入院」が必要だね、と冗談めかしていわれた。結局ターボをすっかり交換する必要があり部品取り寄せと修理費用をあわせて1500ユーロの出費であった。
これだけではただの受難物語であるが、テーマはまだ他にある。

一週間後の日曜日、毎週か毎二週ごとにいつもしているように国の母に電話した。いつもとちがって父が電話口に出た。そしていうことには母が入院したとのことである。
何で、何時?と当然のことにたずねた。
先週の日曜日の夜に急に心筋梗塞の発作がおこり翌朝早くに入院したのだそうだ。母は夜中から明け方まで一人で苦しんでいたようである。夜中に人を起こすことをはばかったというわけだ。そんな時に人の迷惑のことなどかまわぬから救いを求めねば死ぬよ、とお医者さまに諭されたそうであるが、もっともなことである。
発作の起きた時間は夜中の三時近くだったということである。そして入院したのが朝の七時近く。
ふと思いついて、ドイツでは何時だったかと計算してみた。というほどの手間ではない、夏時間は七時間の時間差で日本が早いから、日曜の夜の八時ごろ発作がおき零時ころに入院したことになる。
あれっ、と思った。
われわれがオート・バーンでちょうど難儀していたころじゃないか・・・
しかも車の故障部分は、車の心臓部そして燃料供給に問題がおこった。いわば車の心筋梗塞ではないか?
まただ、と思った。シンクロニシティである。
意味のある偶然の一致。
「偶然」同じ時刻に、母は日本で心筋梗塞で苦しみ、ドイツにすむその息子は車の心臓部の故障で悩まされた。
何者かが何かが起こったことを私に告げていたのだ。
しかもあまりにも困難すぎないような配慮までされている。車が故障した場所近くに「偶然」パーキング・エリアの入り口が待っていたことがそれである。

シンクロニシティ(英synchronicity, 独Synchronizität)とはスイスの深層心理学者・カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875年-1961年)が提唱した概念である。
その体験者にとっては重要な意味を持つ偶然の一致、のことである。それと意識しなければそこからは何も汲みだすことはできないが、それと知って注意して考えると非常に霊感的といってよい深みがあることがわかる偶然がある。

ユングはその生涯にわたって人類全体に大きな貢献を残してくれたが、その生前は彼の仕事の大きさが理解されず、ただのオカルト専門家とみなされていた。大方の偉人の偉大な事業とはそういうものである。凡人の理解をはるかに超越しているため同時代的にはなかなか理解されがたいものなのである。
死後になって彼の事業が一般にも注目されだし一つのブームとなったことがあった。70年代、欧米のヒッピー・ジェネレーションといわれた人々の間でそれがおこった。
彼らはそれまで西欧物質文明に懐疑をなげかけ、インド思想やチベット仏教、シナのタオイスムなどに興味を寄せ、息詰まった状況を切り拓こうとしていたのである。
わたしは彼らより少し遅れてきた世代だったが、彼らのことは共感とともに受け止めていた。それゆえ同じような興味をこれまで抱いてきたのであった。
ユングの学説は非常に貴重なインスピレーションと導きを後の世代にもたらしてくれた。例を挙げれば以下のようである。
1.タイプ論
2・元型。アニマ、アニムス
3.集合無意識論
4.シンクロニシティ
それぞれの理論はそれぞれ興味深いものであるが、今は詳述しない。晩年にたどり着いたユングの事業の成果がシンクロニシティであったことは記憶されてよい。

彼の母方の家系には霊媒が多くおり、彼自身も霊感にすぐれていたようである。おそらくその自らの体験する不思議なことがらを科学的に解明したい、というのが彼の学問の基本的モチーフであったことであろう。
探索の過程でかれは東洋の宗教と思想に触れ、おおきくインスパイアされた模様である。
彼のいう集合無意識とは、きわめて簡単に言えば、あらゆる人々がその深層無意識においては無意識を共有している、というものである。いわば神はわれわれ物質界を超越した形而上的存在ではなく、われわれの中にある、というに等しい。
それは仏教のいう「一切衆生悉有仏性」や、般若心経のいう「空」の概念に近い。また老子のいう「道」とも似通ってもいる。その説明は長くなるので、これまた詳述はしない。
禅は、シナにおいて仏教と老荘思想が結びついて発生し、わが国においてさらに武士道や神道思想も流れ込み完成をみた思想である。
彼の深層心理学がたどりついた境地は、そのわが禅のいう「悟り」に似ている。あるいは禅の悟りがどういうものであるか、ユングの理論がわかりやすく解説してくれている、とでも言うべきであろうか。
ユングの仕事は、宇宙全体のマクロの世界から現代物理学の最先端である量子物理学が説明するミクロの世界にまでおよぶ巨大な広がりと深遠な深みをもつものである。このことはもっと説明が必要であろう。わたしは理解の及ぶ範囲でその業績を追いかけてゆこうと思う。

母は、おかげさまで命拾いをして退院することができた。当初、再手術の要あり、ともお医者さまからいわれていたが、結局それも必要なく薬のおかげか今はもうまた元気でいる。
わたしの車もその後たいしたトラブルもなく走り続けている。
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