マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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【再録にあたって】
イザにあげたこの物語は98%実際におこった事ですので、記念のためにこちら別館に保存しておこうと思います。
VKL氏は、亡命イラン人であった。英国に留学し工学の学位をとった氏は、シャーの現代化政策を支持し「革命政府」のイスラム原理主義に反対したからだ。
氏は「革命」後も一時は、開明派バニサドル首相の手腕に期待したようだったが、その夢もバニサドル退陣とともに破れ、故郷のイスファハン大学教授の席を棄て国際学会参加を機に英国へ亡命した。
その後、スイス、米国と渡り歩きドイツへ落ち着いた。英語しか離せない氏がえた職はある大学の特別研究員であったが日々の暮らしを英国仕込みのヒューモアで飄々と送っているようにも見えた。
氏は、市内のアパートに一人暮らしであったが、その暮らし向きは仙人かと思うほどつつましいものであった。
氏はモスレムではなくイラン古来のゾロアスター教を密かに信仰しているようであったが、それがどんな宗教であるかは多くを語らなかった。しかしニーチェの『Also
その年の一月末は異常な暑さで春をとびこし夏になったかと思わせるほどの陽気であった。
我々家族は週末いつも日本食を摂りに市内へ出るのであるが、その日はその暑さゆえ普段と異なりインド料理を食べに旧市街へとむかった。
地下鉄の出口にあるカッフェーでぼんやりと外をながめるVKL氏をみつけたのは息子であった。
氏もこちらを見つけとびだしてきた。氏とそんな風に偶然出会うということは珍しかったからである。いつもは同じ大学に勤める家内と約しては家に招いたりしていたものだ。その度に氏は過分なお土産を我が家にもたらした。それらはいまでも我が家にあって氏を思い出すよすがとなっている。
我々はインド料理をこれから食べるのだ一緒にどうかと誘うと、氏はもう昼食は済ませたので一時間後にここでまた会おうというので約してわかれた。
食後の珈琲は店をかえてかなり長く話し込んだ。いつものように氏がもっぱら話し手で英国流のジョークをまじえての話に、こちらはフムフムと相槌をうつ役割であったが、一人暮らしの氏の境遇を思って不満はなかった。
そして家内は二週間後の再会を約して氏とわかれた。
氏がいつもと違い大袈裟に抱擁をしてきたのが気にかかった。しかもその際、氏の頭とわたしの頭がぶつかりあい痛くはなかったがそのカラーンとした軽い衝撃になぜか不安を覚えた。
(続きは次回に・・・)