マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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さて豚カツですが、洋食屋ではカツレツと呼ばれる物がいつのまにか豚カツという和食に化けた経緯については詳しい研究をしたわけではないので知りません。
ただ前回紹介した、ウィンナー風、ミラノ風、またドイツ風ともにあくまで主食は肉片とそれをつつみこんだパン粉および油脂成分であることを承知してほしいのです。
ウィンナー風は、前回ごらんのとおり皿からはみ出すほどの大きさですね。でも食してみると大したことはなく実にあっさりした味わいです。
ゆえにドイツ人はそれを小腹が空いたときやご馳走を食べ飽いたときに食す、と述べました。ゆえなきことではないのです。
この肉が主食という習慣に慣れるのにはずいぶんと時間を要しました。
なぜって我々の食習慣からすればオカズだけをむしゃむしゃ食べているようで、「ああ、炊き立てのご飯があればもっとおいしく食べられるのになあ」といつも思うばかりでした。
われらの米を主食とする食習慣が「カツレツ」をして「豚カツ」に変化せしめた最大の理由ではないかと考えることに無理はなかろうと思う次第です。
その豚カツですが、小津安二郎の遺作・『秋刀魚の味』に佐田啓二の兄が岩下志麻の妹の意を受け同僚に妹と結婚する気があるかどうかたずねる場所に豚カツ屋が利用されていました。
彼ら二人はご飯なしで豚カツをビールとともに食し、その同僚はおかわりさえします。あれが正しい洋食の食べ方といってよいでしょう。とすればあれは「カツレツ」だったのでしょうか?
ご飯はあくまでオカズ、といってわるければ添え物といいかえましょう。
しかし日本の家庭における食卓ではそうも行かず、昭和30から40年代は、かなりリッチなオカズとして食卓に子供たちの歓声とともに迎えられたものです。
そういう豚カツが懐かしい。
わたしはまだ日本に住んでいたときたびたび鎌倉へ日帰り旅行をしました。東京からのアクセスのよさ。京都とは一味ちがう日本の古都風情。しかも海に面した地勢。禅寺が甍を並べる霊的な雰囲気等々すべてがよろしいわけですが、鎌倉へ行くたびに昼食は駅前の、(といって八幡宮とは反対側、そう江ノ電があるほうといったほうがおわかりやすいと思いますが)『勝烈庵鎌倉店』の豚カツを食したものでした。
ご飯の炊き具合もよろしいし、手作りのソースもトロッとしてまことに結構、蜆汁も懐かしい味。
蜆を食す豚カツならぬ豚児
写真はすべて数年前の一時帰国の際撮影
ああ、日本へ帰りたい、鎌倉へ行きたい、『勝烈庵』の豚カツが食べたい、とウィンナー風カツレツをモソモソ食しながら考えたわたしはやはり日本人なのだと激しく自覚した次第です。