マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
冬時間もまだ始まらぬうちから連日の零度にさがる朝夕の気温である。
とにもかくにも鬱陶しい季節がまためぐり来る様子を、なすすべもなく見守る。いったい天気というものは人間の力の及ぶところではない。ひたすら恐れ入って冬がすぎ去ってくれるのを待つ長い半年がもうそこまで来たのだ。
こうした時、いつものようにイタリアを思う。過ぎ去った夏のようにイタリアの陽射しとやわらかい空気を懐かしんで、気持ちをはぐらかすのだ。
このころは、英米では十月三十一日が「ハロウィン」、ドイツでは十一月一日が「万聖節」、どちらもあらゆる聖者聖霊が集まることを祝う祭日である。ドイツでは、日本の彼岸のようにお墓参りの日でもある。
それがすぎると十日が「聖・マーティン」で子供たちが夕方、提灯をさげて町を練り歩き家々で甘いものや果物をもらう行事がある。ドイツの歳時記では、その日が、冬の始まりを告げる日である。
今日6月27日は、「Siebenschläfertag」である。しかし休日ではない。
「Sieben」は「Seven」、「Schläfer」は、「Sleeper」、そして「Tag」は、「Day」である。
つまり「Siebenschläfertag」とは、「Seven Sleeper Day」となるが、これでは、何のことかわからんな。信仰をもつ方々はご存知かも知れぬ。
それは、「Sieben Märtyrer von Ephesus」(エフェソスの7人の殉教者)に由来するものなのである。
現在はトルコ領になっているが、エフェソスはギリシア人が築いた古代都市である。黙示録を書いた使徒ヨハネは、この都市で迫害を受けてエーゲ海に浮かぶ島・パトモスで黙示録を書いたといわれている。
エフェソスのギリシア遺跡の写真は以下で。
それより後、西暦251年、七人の兄弟が信仰のため、ローマ皇帝の命により、エフェソスの洞窟に生き埋めにされた。
しかし、その196年後の西暦447年、とつぜんその洞窟が開き、七人は目覚めた。つまり196年眠り続けたというわけである。
この七人を「Siebenschläfer」といい、その七人が目覚めた日が、6月27日というのであるが、例によってどうもくさい。
ゲルマン民俗が、このキリスト教の故事の古層に潜んでいるようの思われるのだ。
そして、この故事が『眠れる森の美女と七人の小人』に色濃く影を落としていることをお察しのことと思う。
ドイツ歳時記的には、この日は、農民がその年の夏の気候を占う日なのである。
つまりこの日が、晴れて乾いて暑ければ、その後7週間はそのとおりの気候に。雨で寒ければ、そのような天気になるといわれておる。
統計的には、南ドイツでは、なんと七割りの確率で正しいそうだ。
ゆえに迷信とはいいきれず、今は農民ばかりでなく、それ以外の職業の人々も、今日の天気を気にしてしまう。風俗習慣とは、いったいにそのようなものであろう。
それだけドイツの天気はあてにならぬということであろう、いやそうだと断定しておこう。まったくドイツの天気はしょうもない小便天気である。
イヤ、失礼、つい私情がはいってしまった。
さて、今日の天気はというと・・・。
曇り、時々晴れ、または雨。という、いかにもドイツらしい普通の天気である。が、気温が低い。摂氏15度前後であろうか?
この夏は、「冷夏」というヤダヤダな占いであるが、さて結果はどうであろう?期せずに待ちたい。
男は21日夕、かばんに衣類を入れて裸で歩いていたところを、ほかの通行人からの通報で駆け付けた警察官に呼び止められた。
警察のスポークスマンは「このところ例年にない暑い日が続きますが、それでもこれ(裸で街中を歩いた事件)は容認できません」とコメント。この男は、警察に対し「ドイツでは裸で街中を歩くのが許されていると思った」と語ったという。また、男には薬物使用の兆候などは無かった。
警察は、直ちに男に服を着るよう命じ、わいせつ行為に対する捜査が終わるまでの保証金として200ユーロ(約3万2000円)を支払わせた。
ドイツでは、公共の公園で裸で日光浴することが認められており、一部でそういう光景も見られる。
たしかにね、たとえばミュンヘンのイングリッシュ・ガーテンなどでは、全裸で日光浴とか遊びまわっている人もいますけどね、街中を全裸で歩いたりはしませんよ。
だいたい、そういう場所は、FKK(自然主義的ヌーデイスト・クラブ)といって、あちこち専用のビーチとかキャンピング場とかは、ありますよ。ごく普通に。
まあミュンヘンはちと開放的すぎるかも。
http://de.wikipedia.org/wiki/Englischer_Garten_(M%C3%BCnchen)
アメリカ人らしい、とんだ勘違い。
でもね、いちどこんなことがありました。
ハイデルベルグのネッカー河畔で、ぼんやりと日向ぼっこをしていたと思ってください。
そこへ、長いブロンドの若い学生風の女の子がやってきました。と見ると、するするとスカートを脱ぎだすじゃありませんか。
びっくりこきましたよ、こっちは。
何するつもりかと思いきや、上はすっかり脱ぎ捨て、下半身下着一枚になった彼女は、ずいっと芝生にねっころがって日光浴をはじめたわけです。
どうせなら、もうひとつ、とも思いましたが、女房の手前言葉にするのも憚られ、サングラスをかけた顔は、あっちの方へ向けながら、眼だけは彼女の方をじっと観察し続けましたがね、ほんとのところ。
でも、ハイデルベルグでは、まだミュンヘンほど「進んで」いないことがこれで分かりました。
あっちじゃ、そりゃあ大胆なもんですから。いちど機会があったらぜひご見学ください。
http://de.wikipedia.org/wiki/Bild:Harmlos_F.J.Schwanthaler_1803.jpg
ドイツ語の「Pfingsten」はギリシア語の「πεντηκοστή [ἡμέρα], pentekostē」からきた語彙で、「50日目の日」という意味だそうです。
すなわちキリストの復活から50日目のこの日、10日前に昇天したキリストに祈る使徒たちに神からの聖霊(Heiligen Geistes)が降ったという、新訳聖書にもとづく祝日です。
10日前の「キリスト昇天祭(Christi Himmelfahrt)」も、もちろん休日でした。
わたしは、異教徒ゆえ、これらのことを信ずることも理解することもできませんが、その信仰を尊重するにやぶさかではありません。
「一切衆生悉有仏性」の立場からすると、霊性はすべてに内在するもので、どこか外から降ってくるものではないからです。
しかし、この降臨したという聖霊は、使徒にたいして神からの聖別として与えられ、昇天したキリストにかわり、神と人間の間をコーディネイトするようにとの思し召しであるとは、理解できるように思いますが、まちがいでしょうか?
また、それは元来、春の最初の収穫を感謝するユダヤの祭日ということですが、このころ収穫されるものといえば、ドイツではアスパラガスがあります。ちょうど日本の初鰹のように、初夏の到来をつげる風物詩です。
またこのころ見ごろとなる牡丹科の芍薬(Paeonia lactiflora)は、俗にピングステンのバラ(Pfingstrose)と呼ばれます。
しかし我々のいう芍薬とは若干ことなっているように思われます。詳述は省きます。
休日の手もちぶさたのつれずれに、以上調べてみました。
春分の日の後の最初の満月の次の日曜日、それをはさんで金曜日が「Karlfreitag」(キリスト処刑「とされる」日)、そして三日後の月曜日が「Osternmontag」(キリスト復活「とされる」日)です。
つまり毎年ことなる、いわゆる「移動祝祭日」ですから、キリストの復活とは直接関係のないのはすぐにお解かりになるでしょう。それは元来、ゲルマン諸族の春の「復活」を祝う祭日であり、その復活がキリストの復活に後からアナロジーとして加えられたものでしょう。
長く暗い冬をやり過ごすための冬至祭が、キリスト生誕になぞられたクリスマスによく似ています。
春分の日の後は、もう冬にもどることはなく、春の到来が確実になる「復活祭」のころは、クリスマスとはまたちがった喜びを感じるドイツでの生活です。
金曜から月曜までの四連休をはさんで、多くの連邦州では学校が二週間の休暇になりますから、それを利用して「Urlaub」(休暇)に出かける人々も少なくありません。
おいちゃん家族は、例年通り家内の実家訪問でした。家内の兄弟姉妹もまた例年どおり集まり、義母の手料理や手作りのケーキを食べ、庭で「Ostereier」捜しをします。
「Ostereier」とはイースターのタマゴのことですが、ゆでた卵を思い思いに彩色し庭の木々にかけて気分をもりあげたり、庭や森に父母や年長者が隠したタマゴや贈り物を子ども達や年少者が捜すという、ゲーム、あるいは儀式というべき遊びをします。
ここでいう年長、年少はあくまで相対的概念ですから、母親が80歳なら、60歳の年少者もいるわけです。
このへんは、シナで旧正月に「年長者」が「年少者」にあたえる「圧歳銭」に似ています。
タマゴはもちろん多産と収穫を表象する記号です。
おなじくウサギも多産の記号として「復活祭」には欠かせない主役です。