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マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。  
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さて最近、読みたい小説がない。藤沢周平も池波正太郎ももう何べんも読み返した。そこでまた漱石・鴎外に帰ることになった。

 どれでもいい、手元近くにあるものを読む。読んだのは、『三四郎』と『ヰタ・セクスアリス』である。どちらも実にモダーンである。あたりまえといえば、そりあ当たり前田のクラッカー、である。

 このわが近代文学の両巨頭は、それぞれ英国・独逸に留学して近代を現地で肌身にしみて経験した。しかも両者とも漢学の素養が実に深い。とくに漱石のこしらえた漢詩は、わたしのシナの知人で唐詩研究者にいわせるとまったく格調の高い日本人では最高水準のものだ、ということだ。

 江戸文化の土壌に生える爛熟した果実を生らす文化の木に近代を接木した、その苦痛があれらのわが近代文学を生み出した。そこには近代とは何か、日本にとっての近代とは何であったか、あるいは近代に直面した日本精神のうめきが如実に記されている。

 またそんな当たり前の理屈ではなく、読んだときに感じる文章のセンスといい、書かれた人物・事柄といい実にモダーンなのである。いわゆるモダンという形容詞を使用してもよい、近代的という意味に受け取られてもいい、とにかく現今の小説にはないモダーンさなのである。そこが読んで楽しい

 

『三四郎』は、明治四十一年に朝日新聞に連載された。いっぽう『ヰタ・セクスアリス』のほうは、翌明治四十二年に脱稿された。

 鴎外は、高木湛(しずか)という哲学者に託して自らの性的生活をつづるのであるが、内容はごぞんじのとおり、性的にはてんでたいしたことはない。作者は性欲がないことばかり書き連ね、性的描写もほとんどない。なぜこの小説を掲載した雑誌『昴』が発禁処分となったのか、今となってはさっぱりわけがわからない。

 あるのは、性に対する作者の近代的感想と意見、さらにはいささかの抵抗をともなう実践だけである。

 また、鴎外の漱石に対する有名な感慨はこの『ヰタ・セクスアリス』に記されているのだ。

 「そのうちに夏目金之助君が小説を書き出した。金井君は非常な興味を以って読んだ。そして技癢を感じた。」

 ほとんど冒頭にあらわれる一説である。そのせいかほぼこれを書いたころにに新聞に連載されていた『三四郎』を意識した部分もある。

 三四郎が、熊本から東京へむかうとき知り合った色の黒い女と一夜をともにした。しかし布団の真ん中にタオルをまるめて敷居として指一本ふれることはなく、分かれぎわ、件の女から「あなたはよっぽど度胸のない方ですね」と揶揄される。

この布団の真ん中に云々、という話が鴎外にも出てくる。

 高木君の知り合いで銀林という針医者が寄席にいって夜更かしをし閉出しを食い、おなじく閉出しをくった近所の娘とおじの家へとまる。おじは誤解をして二人をひとつ布団に寝かせるが、銀林は「解いた帯を縦に敷布団の真ん中において(中略)樺太を両分したようにして、二人は寝る」のだ。

 どうも鴎外は、『三四郎』を読んでその話を思い出したに違いなさそうである。








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