マルコおいちゃんのドイツ生活ああだこうだ事典 |
≪Bar di Marco≫から旧名に復帰しました。 |
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このシリーズもこっちに引っ越すことにしました。
この前は、はやまってもう夏に聴く音楽をやっつけてしまいましたが、やはり春に聴く音楽も補習しておきましょう。
あるのかないのかよくわからないドイツの春。先々週は30度をこえる夏日、先週は20度前後にもどってすずしく感じたほどでしたが、今週はまた気温は上昇気味、明日からはまた30度になりそうだと、天気予報は伝えています。
そんな具合ですから、新緑も例年より早くでそろい、森はもう輝くばかりの緑です。
いつか写真をアップしましょう。
さて、春にふさわしい音楽といえば、そうモーツアルトです。
モーツアルトならなんでもいいわけです。ピアノ・ソナタもいいし、ピアノ協奏曲、オペラ、交響曲、ほんとになにを聴いてもモーツアルトの音楽には春風が吹いているようです。しかし生命あふれる春にも、春の哀しみがあるように、モーツアルトの音楽にも美しさい軽さのなかに吹きすぎるひとすじの哀しみがあります。それゆえに、人々から深く愛されるのでしょう。
『ピアノ協奏曲第23番、イ長調、K488(Klavierkonzerte A dur, Nr.23, K488)』
とくに第二楽章のはじめの部分の深々とした哀しみはどうでしょう。この部分をいかにデリケートに響かせるかでピアニストの腕前がわかります。
昔ならクララ・ハスキルがモーツアルト弾きとして高名で、いまでもファンは多いと思いますが、なにしろ古い時代のことゆえ録音がよくありません。
いまなら、たぶん内田光子でしょうか?彼女の父上は外交官で、ご自分も英国を中心に活動されています。実は、一度だけドイツのある街角で彼女とすれちがったことがあります。憂いを含んだその面影は、きっと多くの哀しみを知る方だと思います。それゆえか、モーツアルトでも短調の曲によくその真価を発揮されるようです。
K488は長調の曲ですが、第二楽章は短調のせいか彼女にはぴったりです。
まだお聴きでない方はぜひご試聴ください。きっと魅せられるはずです。